私は日本服を着る以上は、正式にシャツ類を排斥したいと思う、ところでシャツなくては私の冬はあまりに残酷なのだからやむをえない、私は洋服を主として用いる、その洋服でもあまりの厚着はいけないそうだが、日本服の不体裁に比して遥《はる》かにましだと思う。
 なお和服をシャツなしで、われわれ骨人が着用に及ぶと、かの痛ましくも細い腕がニョキニョキと現われるので、如何にも気兼ねであって、電車の釣革などは平気ではとても握っていられない気がする。
 私はしばしば電車の釣革にぶら下る女の何本かの腕を観賞する事がある、時には私同様骨張ったいけないものもあるが、先ず大概はわれわれ骨人が憧憬《どうけい》してやまないところの、充分な腕を並べていて、その陽気のために、羨《うらや》ましくも悩ましい気に打《うた》れるのである。
 結局骨人は綿入を重ねて火鉢を抱き、股引《ももひき》を裾《すそ》から二、三寸はみ出させて、牛肉のすき焼きをたべるのだから残念ながら粋《いき》とか通《つう》とかという方面からいえば、三|文《もん》の価値もないのであるが、といって、私の心が嫌うものを私が勝手にどうする訳にも行かないのだから万事致方のない事である、やはり寒気、冷気、陰気、骨、皆禁物だ、だから魚は鯨、鯨は魚ではないそうだが……あるいはまぐろ[#「まぐろ」に傍点]位いに止《とど》まり、あゆ[#「あゆ」に傍点]や鯉等は針を食する感があっていけなく骨に近い女がいけなく、そして骨のない野菜と果実とチョコレートと芋《いも》と豆腐と牛豚に好意を持つ次第である。

   M君のテンプラ屋について

 昔から器用貧乏と申しまして、ちょっとした絵の一つくらいは描けたり犬小屋くらいはちょっと半日で体裁のいいのを作ってみせたり、ちょっと歌も作れたり、あるいは音曲、手踊、発明にいたるまで何に限らず一応はやってみせるという風の人物はかなり多いものであります。
 何でもちょっとはやれるということが大変便利であるところから、その近所両隣や町内では、しごく重宝がられます。例えば初午の行燈へちょっと何か描け、浄瑠璃の会をやるからビラ一つ書いてんか、ちょっと万さん雨の漏り止めてんか、ちょっと自転車の空気入れてくれ、アンテナ張ってくれ、鼠を捕えてくれ、余興に出てくれといった風の雑件をどしどし持ち込みます。万さんもこちらが忙しいのでこれが本職かと思い出し、自分の家のことはさておき、町内を走り廻るという、妙なことになったりするのであります。
 ところが本当の看板屋、本当のラジオ屋、本当の大工、本当の絵描き、本当の自転車屋ではありませんから、その手間賃を誰一人として支払うものがありません。結局、万さんはよい人やという結論が町内へ行渡ってしまうだけであります。よほどの親譲りの財産でもない限り、万さんは貧乏せざるを得ません。私はまったく万さんを気の毒に思うのであります。同時にただ使っておきながらええ人やといっている町内の嬶などいうものは随分狡猾なものだと私は常に思うているのです。
 しかしながら器用人というものは何といっても本当の仕事が出来ないのが弱味です。商売にならないのも無理はありません。芸術家の心だけを多少持っているところがかえって不幸の種かも知れません。
 私の知人M君もこの万さんの一人でありまして、初午の絵行灯に雁次郎の似顔でも描かせばなかなか稚気愛すべきものを描きます。ところでM君も徳川末期あたりに生まれていればまず一日を床屋で暮していても、町内を走り廻っていても、この世だけは無事に暮せたのでしょうけれども、この現代はあまりに生活が深酷過ぎますので堪りません。彼には妻子があるのですから、なかなかええ人やという評判くらいでは食っては行けないのです。M君は止むを得ず保険会社の勧誘員を勤めました。ところがちょっと絵心でもあるくらいのM君ですから、やはり芸術家の潔癖な心得だけは、心の片隅に持っていますから、勧めたくもない保険など他人へ強いてみたりする下等な行いはいかにも出来難いのでありました。M君はある時私なら馴染でもあるし話やすいと思ってか、勧誘にやって来ました。私はM君には気の毒と思いましたが、大体私は何年か後の金千円という金に興味など少しも持てないのだから厭だといって断りました。するとM君はなるほどそれもそうですなと同感して、すぐ帰ってしまいました。それくらいよくものの判った人格者であります。
 それからM君は中之島公園のベンチへ腰かけて、もっと自分の趣味と自力でやれる公明正大な商売はないかと考えたのでした。数日の後彼はテンプラ屋を決心しました。テンプラは彼の好物でもあるし資本もあまりかからない関係からかも知れません。
 しかし妻君は大変反対しました。妻君の心には芸術がありませんから、亭主のテンプラ屋は駄目だという計
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