愛すべき動物のようですが、まず一カ月と交際を続けて御覧なさい、以外に意地の悪い、女の腐ったような奴だということを発見するでしょう。大久保君鹿を目がけてステッキを投げつけた。すると彼女はずるい目つきでわれわれを眺めながらスポンという音とともにおならを発しました。私はそのお尻がパッと開いてすぐ閉じる瞬間を、はっきりと眺めました。
 大久保君は投げたステッキを拾いながら、君、あいつは無茶やなアと申しました。
[#地から1字上げ](「週刊朝日」大正十四年九月二十日)

   胃腑漫談

 最近、私は持病の胃病に悩まされていたのでつい考えが胃に向うのである。
 総じて病人というものは病気を死なぬ程度において十分重く見てほしがるものらしい。「なんだそれ位の事でへこたれるな、しっかりし給《たま》え」などいわれると病人の機嫌《きげん》はよろしくない。「何んでも君の病気は重大な病気だよ、なかなか得がたく珍らしい種類のもので、先ず病中の王様だね」位に賞讃すると随分喜ぶものだ。しかし決して死ぬといってはいけない、頗《すこぶ》る気ままなものである。
 病気でさえも自分のものとなると上等に見てもらいたいというのは情《なさけ》ないものだ、私なども、自分の胃病を軽蔑《けいべつ》されたりすると、多少|癪《しゃく》に障《さわ》ることがある。おれのはそんなくだらないケチな胃病とはちがうんだと威張って見たくなることがある、くだらないことだ。

 私なども子供の時分は胃の事など考えなかった、自分の身体をば水枕か何かのように考えていたものだ。私の両親は食事しながら笑ったりお饒《しゃ》べりなどすると、これ、あばら[#「あばら」に傍点]へ御飯が引掛《ひっかか》りますといって叱《しか》った事を私は今に覚えている。
 何んでもその水枕の周囲に提燈《ちょうちん》あるいは鳥|籠《かご》のような竹か何かの骨がめぐらされているものと考えていた、そこへ飯粒が引掛ると咳《せき》が出たり、くしゃみ[#「くしゃみ」に傍点]が出たりするのかと思っていた。
 兵隊さんなどで、胃病に悩むなどいう人はあまりないと思うが、従って兵隊さんは腹の中を随分簡単に考えているらしい、即ち兵隊さんの仲間では第一ボタンまで食ったという言葉があるそうだ、咽喉《のど》から下全部を、一つの袋か壜《びん》の類と見なした言葉だと思う、そしてボタンはその度盛《ども》
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