りである。
私が子供の時に考えていた腹の構造とあまり大差はなさそうだ、さように腹の中を簡単に考えているからといって決して軽蔑するわけではない、自分の胃の腑《ふ》を知らないという事は全く大変な幸福な事である。勿論《もちろん》腹を腹とも思わず塵芥溜《ごみため》だと思って食物と名のつくものは手当り次第に口中へ捻《ね》じ込むというのは、あまりに上品とはいえないが私のような胃病患者から見るとなんとそれは幸《さ》ち多過ぎる人であるかと思って羨《うら》やましき次第とも見えるのだ、全く何も食えずにいる時、沢庵《たくあん》と茶漬けの音を聞く事は、実に腹の立つ事である。
常によく病気するものは、自分の身体の構造について随分、日夜神経を尖《とが》らして研究しているものだ、それが胃病患者ならば自分の胃袋はこんな形でこんな色をしていて、こんな有様でとあたかも毎日胃袋や腸を、眺めて暮している如く説明するものがある、しかし可笑《おか》しな話しで、自分の臓腑を生きながら見た人は先ず昔からなかろうと思う。全く自分の持ち物でありながら一生涯お目にかかることの出来ないものは、自分の腹の中の光景であろうと思う。
私は蛙《かえる》のように自由に臓腑を取り出す事が出来たら如何に便利な事かと思う、そして水道の水で洗濯《せんたく》してちょっとした破れは妻君《さいくん》に縫わせて、もとへ収め込むという風にしたいものだ。
私の胃病は医者の説によると、胃のアトニーというもので、胃の筋肉が無力となって、いつも居眠りをしているのだそうだ。一種のサボタージュだと見ていい、胃がサボタージュを起しているのだから、第一に、食慾が起って来ないのだ、私が学校時代はこの胃が最も猛烈にサボっていたものだ、下宿で食べた朝食は、昼になっても晩になっても、停滞しているのだから堪《たま》らない、しかし考え方によると頗《すこぶ》る経済でいいともいえるかも知れないが腹はすかなくとも衰弱はどしどしとするから全くやり切れた話しではないのである。
学校の門を出た処に一銭で動く自動計量器があった、私はある日衰弱した体躯《たいく》をばこの機械の上へ運んだ、そして一銭を投げ込んで驚いた、私は帽子を冠って冬服を着て靴を履《は》いて、手に風呂敷包《ふろしきづつみ》を持って、肩には絵具箱をかついで、しかして何んとその針は十貫目を指《さ》してピタリと止《とま
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