こんなものを探しているわけではないのだ、私の本当の心は新しい作品には新しいものをつけたいと思うのだ、ただ好きなものがないので苦労するのだ。
山下氏などは西洋形式を取り揃えて研究されているらしい、そして自分で木を削り彫刻を施して気のすむまでいじくっていられるようだ、なかなかいい味の本すじのものが出来上がっているのを私は見る。
ところで山下氏の如く本すじのものが出来れば結構だが、ある伝統の様式を知らないものが手製を試みることはむしろ止めてほしいものだと思うのだ。私はしばしばでたらめな文様を施した手製の縁をみたことがあるが、それは非常に嫌味なもので落着かぬものだと思った。
帽子屋の帽子は皆気に入らぬからといって、毛糸か何かで頭巾様のものを妻君に作らせて冠っているようなもので、嫌味でとても見ているものは堪らないのだ。ここがむずかしいところだ。いい縁は必要だが、手製のでたらめを作る位ならばむしろ万屋で買った山高帽子の方がいくら嫌味がなくていいかも知れないのだ、だから凝らない方がよっぽどましだということになるのだ。
[#地から1字上げ](「マロニエ」大正十五年一月)
黒い帽子
私は、一つのものを愛用すると、それがどんなに古ぼけてしまっても、如何に流行から遠ざかっても、次にそれに代るだけの、自分の気に合ったものが現われない限りは容易に捨ててしまう事が出来ないで、いつまでも未練らしく用いていたい性分《しょうぶん》なのです。
私が今|冠《かぶ》っている帽子なども、その愛用しているものの一つでしょう。愛用しているものは何も帽子だけに限った事ではありませんけれども、帽子というものは、一等日常親密に交際するものですから、先ず帽子を思い出したわけです。
私は元来、鍔《つば》の広い帽子が本能的に大嫌いです。例えばアメリカのカウボーイの冠っているもの、あるいは日本の青年団とか少年団とかいう種類の男たちの冠っている帽子などは私の嫌いなものの代表であります、アメリカものの活動写真などを見ると、きっとあの帽子を着た男が現われますので閉口します。虫が好かないのでしょう。
それで鍔の狭い少し巻き上った帽子を以前から随分探していたものでしたが、私の注文通りの型で帽子の流行がいつも一定している訳のものではありませんから、なかなか見当らなかったのです。それで尋ね尋ねた末、やっとの事で遠い
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