けのものでなくてはならないでしょう。
支那のものでは、よく紫檀《したん》の縁がついています、上品でいいものです、古いビードロ絵にはそれは堪《た》まらなくいい味な、古めかしい縁がついています。
私は額縁屋へ喧《や》かましくいって造らせたりしますが、どうもいう事を聞かないので癪《しゃく》だから致方《いたしかた》なく、私は場末の古道具屋をあさって、常に昔しの舶来縁の、古いのを探しまわるのです、古額は案外美しいものがあります、昔し渡った鏡のフチなど今も散髪屋などによく残っていますが、なかなかいいものがあるのです、こんなものは古道具屋では、あまり価値がないものですから、気の毒なようなねだんで売ってくれます、こんなのを常に買い込んで置いて、時に応じてその画面の寸法に合せて、額縁屋で切らせ、組み合させるのです、すると絵にピッタリ合った味が、成立するのであります。先ずガラス絵としての大略の事を申したつもりです、長くなりますからこれで止めときます。
散歩雑感
私は毎晩散歩する癖がある。国枝君などは散歩は大嫌いだという。第一歩などという言葉からして虫が好かないという。なるほど考えてみるとあまりハキハキした言葉でも仕事でもないが、癖になっていると病気のようなもので、何はさておき、ちょっと巡回して来ないと気がすまないのだ。
ただ何となく外へさえ出れば、何か驚くようなことにありつけるような、何かが落ちていそうな、何か素晴らしいものが拾えるような気持ちがしてくるのだ。
ところで真暗な野道や淋しい町を、いくら歩いてみても一向面白くないのだ。狐が飛び出すくらいのものかも知れない。狐でもいいから出てくれればはなはだ面白い。家の中で髭を抜いているよりもいくら景気がいいか知れない。もしその狐が美人に化けて誘ってくれればなおさら面白いではないか。もし馬の糞でもたべさされたら困るには困るが、天井の節穴を計算しているよりもどれくらい幸福だか知れないと思う。
夢を見るということも一種の寝ながらの散歩だと思っていい。寝ると同時に醒めたら朝であったというぐらいの、完全な眠りでは夢は見られないが、時に五臓の疲れのある晩には随分興味ある一夜を送ることが出来るものだ。人間は、十年以前のある三カ月を思い出すことは出来ないが、十年前のある一夜の夢をはっきりと記憶していることがある。するとその三カ月は死ん
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