うであります、第一|馬鹿《ばか》に大きいガラスというものが、人に、何時《いつ》破れるかも知れぬという不安を与えていけません。
 それから、次へ次へと絵具を重ねることが出来ないものですから、勢い画面が単調になります、筆触《ひっしょく》もなければ絵具の厚みもない、ここで不安と単調が重なるものですから、どうしても不愉快が起らざるを得ません。
 そんなわけで、大体においてガラス絵の大作というものは、昔しから尠《すく》ないようです、日本製の風景画などに、よく三十号位いもあるのがありますが、それは大変面白くないもので退屈《たいくつ》な下等な感じのするものであります。何んといってもガラス絵は、小品に限ります、Miniature の味です。小さなガラスを透して来る宝石のような心《ここ》ちのする色の輝きです、宝石なども小さいから貴く好ましいのですが、石炭のように、ごろごろ道端《みちばた》に転《ころ》がっていれば鳥の糞《ふん》と大した変りはないでしょう。
 私の考えでは、ガラス絵として最も好ましい大きさは、二寸三寸四方から五、六寸位い、せいぜい六号位いの処だと思います。私は三号以上のものを描いた事はありません。
 ここに、作画の上に注意すべき事は、何しろさように小さい作品である上に、殆《ほと》んど想像で仕上げるものでありますから、例えば子供の肖像を描く場合、それは下絵として充分正確な素描が必要であって、芸術として厳重な考えを持って、やらなくてはいけません、どうかしてそれが、子供雑誌とか、婦人雑誌などの、甚だセンチメンタルな挿画《さしえ》となってしまう事も、怖《おそ》れねばならないのであります、この種の挿画となってしまっては、も早や、ガラス絵も何もかも、皆台なしとなってしまうのであります。
 要するにガラス絵といっても、少しも他の油絵や、水彩と変わりなく充分の写実力を養って後《の》ちでないと面白い芸術品は出来ないでしょう。
 食物でいえばガラス絵などは、間食の如きものでしょう、間食で生命を繋《つな》ぐ事は六《む》つかしい、米で常に腹を養って置かなくてはなりません。

     六 額縁の事

 ガラス絵とその額縁との関係は、なかなか重大であります、何んといっても、二、三寸の小品の事ですから、これに厭《いや》な額縁がついていれば、その小さな画面は飛ばされてしまいます、充分中の光彩を添えるだ
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