たようでありますから、も早やかなり調べている人もあるかも知れません。
ともかく、私がガラス絵に興味を持ち出したのは随分古く、もう十四、五年も以前の事であります、偶然大阪の平野《ひらの》町の夜店の古道具屋で、初めてガラス絵というものを買って見たのでした、それまでは散髪屋とか風呂《ふろ》屋ではよく見かけたものですが、別段欲しいとは思わなかったが、変な興味はもっていたのでした、どうも普通の絵とは違った下品ではあるが何か吸込まれるような色調が妙に私の気にかかってならないのでした、それは高等な音楽、何々シンフォニーではなく、夜店の闇《やみ》に響く艶歌師《えんかし》のヴァイオリンといった種類のもので、下等ではあるが、妙に心に沁《し》み込む処のものでした。
勿論安い事は驚くべきものでした、家へ持って帰って眺《なが》めて見るになかなか味があるのです、その絵は人形を抱いた娘の肖像で、錦絵《にしきえ》としてはかなり末期の画風のものでありましたが、非常に簡単な手法が一種の強さを持っているのでした。これが病みつきで私はどうもガラス絵が気にかかり出しました、そのうち色々の風景画や、人物画なども集めて見たりしましたが、何んといっても職人の仕事でありますから、本当に鑑賞の出来るという出来|栄《ば》えのものは頗《すこぶ》る尠《すくな》いのであります、その中《うち》日本出来のものよりも支那出来の古いものに頗るいいのがある事も知り、西洋からの渡来品というのも見たりするうちに日本出来である処の散髪屋向きのもののつまらなさがわかるようになって来ました。
二 ガラス絵の種類
日本へ入ったガラス絵の法は、阿蘭陀《オランダ》からか支那からかあるいは両方から入ったものか、私には今よくわかりませんが、何しろ輸入されてから、例えば当時の銅版や、油絵の如く、江漢《こうかん》とか、源内《げんない》とか、いううまい人たちがこの法を生かしてくれていたら日本のガラス絵もも少し何んとかなって、美しいものが残されていたにちがいありません。
全くいい技術家がこれを試みなかった事は惜しい事でした、しかしながら、日本でも職人の仕事としては非常な勢で作られたらしいのです、それは今の名勝《めいしょう》絵葉書の如く、シネマ俳優の肖像の如く盛《さかん》に作られ、そして、それは逆に外国に輸出されたり、あるいは散髪屋風呂屋の懸
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