額《かけがく》として愛用されたり、品の悪い柱がけとして用いられたり、商家の絵看板に応用されたりなどしたのです、だから今でもこの種類のものを探せばいくらでも出て来ます、決して画品のいいものではありません、芸術としては価値|甚《はなは》だ低いものですが、粗製濫造から来る偶然の省略法や単化と、ガラスの味とが入交《いりまじ》ってまた捨《すて》がたい味を作っているものがあるのです。
先《ま》ず日本製のもので一番多いのは、風呂屋向きのザンギリ[#「ザンギリ」に傍点]のイナセ[#「イナセ」に傍点]な男女が豆絞りの手拭《てぬぐ》いなど肩にかけた肖像画や諸国名勝などであります、あるいは長崎あたりへ来た黒船の図なども多いのです。
名勝風景などは、その絵の中の岩とか石畳《いしだた》みとかの部分へガラスの裏面から青貝が貼《は》りつけてあります、凝り過ぎたものであります、あるいは風景中の点景人物などは当時の芸者の写真をば切り抜いて、それに彩色を施して、そのまま貼りつけてあるのがあります、表現法としては真《まこ》とに思い切った不精《ぶしょう》なやり方で、近頃の二科あたりの連中の仕事にも似て面白いと思います。
も一つ表現方法として珍らしいのは、ある種類の風景画はガラスを幾枚も重ねて、一枚の絵を作っているのもあります、即ち近くにある物体、例えば岩や松は看者《みるもの》に一番近い手前のガラスへ描かれ、中景に当る茶店とか人家、中景の雑木《ぞうき》などは、中間のガラスへ、遠景の空と山と滝といったものは一番奥のガラスへ描いてあります、なるほど、重ねて眺めると、物体は本当に浮き出して見えるわけであります、これなどはガラスの透明を応用して実感を現わす思いつきとしては、頗る愛嬌《あいきょう》のあるものだと思いますが、決して品のいいものではありません。
先ず日本出来のものでは私の考えでは、風景よりも末流の浮世絵風に描かれた女の風俗、肖像といったものに面白いものが多いと思います、これ等も都会ではだんだんなくなりつつありますが、田舎《いなか》へ行けばうるさいほど現在でも残っている処のものであります。
支那のガラス絵では、私の今まで見たものには二種類あるようです、一つは純粋の支那らしいもので他の一つは西洋模倣のものであります。
純粋の支那らしいものといえばその題材なども主として、道釈《どうしゃく》人物、花鳥
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