けてしまったとしたら、私は困ってしまう。
 どんなに世の中が、あるいは政府が、これが一番だと推奨してくれても、私が好まないものであれば、恋愛は更《さ》らに起らないのだ。
 私は人種同志が持つ特別な親《したし》みというものが、非常に人間には存在するものだと思っている、よほどの特別仕立ての人間でない限りは、人は同じ人種と結婚したがるものだ。
 私は外国にいた時に、特にそれを感じた、如何にそれが正しい人間の形であるかは知らないがあのフランスの多少|口髭《くちひげ》の生《は》えた美人が、一尺の間近《まぢか》に現れたとしたら、私はその美しさに打たれるより先きに、その不思議に大袈裟《おおげさ》なその鼻と深く鋭い目玉と、その荒目な皮膚の一つ一つの毛穴に圧倒されて、泣き出すかも知れない。
 足の短いのを或る理想主義から軽蔑《けいべつ》する人もあるが、私は電車の中などにおいて日本的によく肥えた娘が腰かけていて、その太い足が床に届きかねているのをしばしば見る事があるがあれもなかなか可愛いものだと思って眺《なが》める事がある。しかし近代の日本の女もその生活の様式が変ったためか、だんだん足が長くなって来たのは驚くべき位《くら》いである、足の短かい顔の大きな女はやがて日本から消滅するかもしれない、すると間もなく、日本の女も西洋の女とあまり形の上においては違いがなくなる事だろうと思う、ただ皮膚とか色の違いが残る位いである。
 形は権衡《けんこう》の問題であるからこれは少しつり合いが変だと直《す》ぐ素人《しろうと》にも目につく、日本人の顔の大きさは彼女の洋装において一等皆さんの笑いの的《まと》となるのである、しかしながら色は必ずしも白色でなければならぬとは限らない、印度《インド》の女の皮膚の色には別な軟《やわら》かみと滑《なめ》らかな光沢があって美しい、また日本人の黄色に淡い紅色や淡い緑が交っているのも私は白色人のもつ単調な蝋《ろう》のような不気味さよりも、もっと異常のあたたか味と肉臭をさえ、私は感じる事が出来ると思う。
 日本人の裸を最もうまく描いたものは、何といっても浮世絵だと思う、浮世絵に現れた裸体の美しさは、如何に西洋人が描いた理想的という素敵《すてき》な裸体画よりも、如何に人を感動せしめるかは私がいわなくとも知れている事実である、それは決して若い男女が、見てはならないものであるとさえさ
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