サラ、ヌラヌラ、スベスベ、カサカサ、フワフワ、ネバネバ、ニチャニチャ、張力、弾力、円錐球楕円三角鋭角鈍角平面四角八角ギザギザ階段その他いろいろの複雑な立体などである。要するに目で見てははっきり感じられないもので、触れて初めて味の出るものばかりだ。
要するにこれらのモティフを作者がうまくトワール、板あるいは立体的にあらゆる材料を用いて思う存分組み立てればいいので一種の構成派の仕事である。それは立体的な複雑な触覚の音楽が作り出されると同時に目で見てもさも軟らかそうな、堅そうな、滑らかそうな、ゴツゴツらしいヘナヘナネバネバ円く長く珍しい立像が生まれ出ることだと思う。この立像は奇妙な形を呈することだろうけれども、触覚という世界から生まれたものだから、そこに非常な合理的なものがあるので、現存している構成派の作品などよりも人間には親しみがもっと多いだろうと思うのである。
この触覚芸術の展覧会が開かれたとしたら、随分珍しい光景を呈することであろうと思われる。この会場では「作品に手を触れるべからず」といったような注意の代りに「充分心ゆくまで作品を撫で廻して下さい」と記されるであろう。
それから面白いのは観覧人に盲人がすこぶる多いことである。この作品に限ってめくらもめあき同様に観賞の自由、幸福が与えられる。それからこの芸術に刺激されて、めくらの長髪連がどしどし現れる。あんま志願者が少しは減るだろうと思う。一般のめあき階級は女の尻をたたく触感以外かくも美しく複雑な触覚の世界があったのかということを教えられることとなるであろうと思ったのである。
裸婦漫談
日本の女はとても形が悪い、何んといっても裸体は西洋人でないと駄目だとは一般の人のよく言う事だ、そして日本の油絵に現れた女の形を見て不体裁だといって笑いたがるのだ。それでは、笑う本人は西洋人の女に恋をしたのかというとそうでもない、やはり顔の大きな日本婦人と共に散歩しているのである。
理想的という言葉がある、昔《むか》しは女の顔でも形でもを如何《いか》にも理想的に描きたがったものだ、西洋ではモナリザの顔が理想的美人だとかいう話しだが、なるほど美しく気高いには違いないが、世界の女が皆あの顔になってくれては大《おおい》に失望する男も多いだろうと思う、例《たと》えば私の愛人であるカフェー何々のお花の顔が、一夜にしてモナリザと化
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