こで折角吸うた冷い空気が心の底で煮えつまるのである。幸福と行進曲が煮えつまるのだ。
もし私の心臓に穴がなくて、酒がうんと飲めるものだったら、私はそんな時、無神経な旦那はんの頭と、LMNと芸者の頭を「ガン」となぐって帰るかも知れない。あるいはすこぶるよろしく調和して、旦那から一人の芸者を拝領に及んで舌を出しながら次の一間へと引き退がることとなるかも知れないと思う。どうも結局飲めない僧帽弁がいつも一番いらない苦労をするようである。
[#地から1字上げ](「不調和」昭和二年二月)
滞欧の思出
心からあなたを愛する
私は元来、しゃべる事が下手《へた》だ、おまけに大阪弁だから、先ず日本語としても殆《ほと》んどなっていないといっていい位いだ。西洋人でも随分|鮮《あざや》かな東京弁を使う人に時々出会う事があるが、全く私は恥かしい。それはもう、なんやこう、けったいな感じがしてどむならんとかいったら、これは正確な日本語を習った毛唐《けとう》には、全く見当がつかないだろう、日本人にも通じ難いかも知れない。
東京にいる間は、それでも多少は東京風にものをいっていたものだが、家へ帰ると大阪市全体、私の家族全体、友人全体が、なんやこう、けったいな言葉を使うものだから、私だけが、そうかね御苦労だったねなどいって見ても、全く、それこそ、なんやこうけったいな調子になって、少しも周囲と同化しないし、第一親しさが表わせない、私だけが何か新派の芝居でもしているように見えて可笑《おか》しくて堪《たま》らない、やはり私は、さよか、おおきにはばかりさんといってしまう。その方が不都合が起らないのだ。
その位い、私は大阪弁なのである。ところが単に親しさを表すだけの時にはいいが、何か演壇へ立つとか、あるいはラジオの放送であるとか、あるいは講演、婚礼や新年の挨拶《あいさつ》、火事見舞、仏事、などにはあまり進んで出られないのである。その上ちょっと気兼ねをすると直ちに言葉がのど[#「のど」に傍点]へつまってしまうくせ[#「くせ」に傍点]があって、あのう[#「あのう」に傍点]とそのう[#「そのう」に傍点]以外一句も出なくなるのである。私はさように大体、言葉には辟易《へきえき》しているのである。
ところで、私が、フランスへ行こうと考えた時、何よりも困った事は言葉の勉強であった。私は中学時代の英語
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