に画面の構図ばかりを気に病んで、勝手気ままに自然を組みかえて見たり樹木を置きかえたりする事は、人間の顔が気に入らないからと云って、口を目の上へ置きかえる位いの間違いを起すおそれがある。
これは絵の構図ではないが、私は人間を見ていつも感心している事である。人間も偶然に出来た自然物ではあるが其生きると云う必要上、種々雑多の諸道具類が実に都合よく、完全に備わり、格好よく構成されている様であるそれでも吾々は、かなりうるさくあれは美人だとか、拙い面だとか、可愛いとかヴァレンチーノだとか勝手な批評をするのが常である、これも偶然に出来た処の構図を、いいとか悪いとか云って批評する訳である。
人間は、神様が作ったと云われている人間の顔でさえ左様に文句を並べて、少しでもいい構図を求めようとするのである。よい構図は人の心を愉快にし、安心、安定を得さしめるものである。
そんなに人間は、人間の面の批評をするが、先ず大体に於て、人間の構成はよく出来ているものであると私は思う。もし人間を吾々が創めて造り出さねばならないものだったら其組立てに就いては随分まごつく事だろうと思う。そして案外不便で且つ、可笑な形のものを作り上げて笑われるかも知れない。
先ずいろいろと文句は云うが其目鼻を移動させる事はかなりの危険が伴うからやらない方が安全であると私は思う。そして充分自然を愛し、自然に便る事が安全だと思う。自然は無頓着であるから従って千差万別である。一つとして同じものが作られていない、処で人間のやる仕事は、何に限らず事を一定したがっていけない、今や人の顔はヴァレンチーノが流行だと云えば皆ヴァレンチーノとして了うかもしれない、だから人間を作る事を人間に任せて於ては同じ型ばかり作り度がる故に危険である、結局均一の人類の無数が製造されて、人間は怠屈して了わなければならない不幸が現れる。
私は従って変化ある面白い構図は、自然をよく観察し自然に従ってよき撰択をする処から生じて来るものであると考える。
× × × ×
今一枚の風景画を作らん[#「作らん」は底本では「作ら」]とする、十号と云うカンバスを持ち出す、自然の全体を此十号へ全部残りなく描き込んで了う事は人間わざでは出来ない、吾々は自然の極く一部分を、この十号と云う天地へ切り取って嵌込まなければならないのである、ここで自然の中から、自分が見
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