《とも》っているだけでした、そして彼女の草鞋の横顔を、かすかに照しているのでした。
私は少し心細くなったので、もう写生などやめにして逃げて帰ろうかとも思いながらランプの火を眺めていました、すると草鞋の裏が私の前へやって来ました、婆さんは自身の身の上について何か沢山|饒舌《しゃべ》った末、あんたはほんまにきゃしゃ[#「きゃしゃ」に傍点]なたちやな、あんまり勉強すると肩が凝《こ》るやろといいました、私は全く肩を凝らす性分なのですから、はあ、と答えると、わしがちょっと揉《も》んでやろというのです、ランプの影からもう細い手が二本出ています。大体この家には私とこの草鞋の裏と二人きりしかいないのですから、助けてくれと叫んでも誰一人出てくれるものはありません、どうも都合が悪いと思いましたが逃げる訳にも行かず、私は丹田《たんでん》に力を込めて目をつぶって揉んでもらいましたが、彼女の毒気が肩先きから沁《し》み渡るのを覚えました。
それから婆さんは、毎夜私の部屋へ遊びに来まして毒気を発散しながら親切にしてくれるのであります。この親切は老年の一人身から僕を小供と思ってしてくれる親切だと解釈する事に私は大につとめたのであります。
ところが、如何にも、その頭のくろんぼ[#「くろんぼ」に傍点]を見ると我まんがならないのです、私はまた、毎朝婆さんのお化粧が気にかかるのでした、彼女は実に長い時間鏡に向って、娘のする姿態で以てお湯を使うのであります、お化粧中は口三味線《くちじゃみせん》で浄瑠璃《じょうるり》を語るのですから堪《たま》りません、私は全くこの草鞋裏の親切だけは御免だとつくづく思ったのであります。
それから一週間ばかりの後でした、私は例の如く絵の道具をかついで出ようとすると婆さんは私を呼びました、実はこの間から絹布団を作ったのであるが、初めには男の人に寝てもらうとよいとの事|故《ゆえ》、今晩はぜひとも寝てはくれまいかとの依頼でした、私は何心なくそれは結構な事で、私は絹の布団などへはかつて寝た事はないのですからよろしく頼みますと申しました。
その夜、私は部屋へ帰って見ますと、一向絹布団の影も見えませんので私は婆さんに、一体絹布団はどうしたかと聞いて見ましたら婆さんは、ああ、それはあんまり重たいさかい私の部屋に敷いてあるといいますので、私はこれは弱ったと思いました、あのくろんぼ[#「
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