初めのうちはそれで随分|手古摺《てこず》ったものだが、いかに亭主は海を好かぬかという事を了解するに及んで、この節はあまり誘わなくなったので私は最も手近い水難から救われたのである。
 全くの処、細君《さいくん》の水泳を砂地の炎天できもの[#「きもの」に傍点]を預かりながら眺めているという惨《みじ》めさは憐《あわ》れむべきカリカチュールでなくて何んであるか。私は最近|芦屋《あしや》へ移った。永い間の都会生活に比して、何んともいえず新鮮な心地がする。例えば大阪を仕舞風呂《しまいぶろ》とすればこの辺《あた》りの空気は朝風呂の感じである。何もかもが結構であるが、ただ案じられるのは来るべき夏の水難である。海に近いという事がこの辺に住む人の一つの誇りである。西洋人の夫婦などは海水着のままでこの辺から走って行くそうである、という事を聞くにつけても心細いのだ。ぜひ朝の早いうちに一浴びして来なさいと、今から頻《しきり》に勧められているのだ。
 そこで私は何かいい水難|除《よ》けの呪《まじない》でもないかといろいろ考えた末庭の松の枝へ海水着の濡れたのを懸けて置こうかと思う、そして絶えず女中に水をかけさせて置くのだ、もし誰れかが海へ行きましょうかと来るとすぐそのぬれた水着を示して、いやもう今帰ったばかりで……、ああ草疲《くたびれ》たという顔をして見てはどうかとも思うのである。

   足の裏

 現在の歓楽場から活動写真を引去ったら一体何が残るかと思える位、今は活動写真の世界であるが、私たちの小学校時代には、この活動写真がまだ発明されていなかった、その代用としては生人形、地獄極楽、化物屋敷、鏡ぬけ、ろくろ首の種あかし、奇術、軽業《かるわざ》、女|相撲《ずもう》、江州音頭《ごうしゅうおんど》、海女《あま》の手踊《ておどり》、にわか[#「にわか」に傍点]といった類《たぐい》のものが頗《すこぶ》る多かった、その中でも江州音頭とか海女の手踊、女軽業などというものになると、これは踊りや芸その物よりも、多少女の身体及びその運動を観覧せしめるものだともいえるところの見世物《みせもの》であった。
 私は、随分いろいろの見世物が好きで、しばしばその看板を眺めに行ったものである、少し人間の情味がわかるようになってからは、地獄極楽や鏡ぬけよりも、陰鬱《いんうつ》なろくろ首や赤い長襦袢《ながじゅばん》一枚で踊る江
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