金槌でガンガン釘を打ち込むという仕事を行うだけの神経と勇気が出るかどうか。
私が一〇年程以前のある真夏、 鞆の津[#「鞆の津」は底本では「靱の津」]のある旅館へ泊ったことがある。それがちょうど右の状態そのままであった。その上、折悪しくもその日から猛烈な台風が襲来したものだ。瀬戸内海も仙酔島も風と雨と水沫とでめちゃめちゃとなってしまった。
海に面した側の私たちの部屋はことごとく、女中によって雨戸が締められた。
こうなると暗くて、陰鬱で、蒸暑くて、私は一人で、他人は二人以上であるからやりきれない。寂しく羨ましく退屈でしゃくで、イライラする神経と金のない不安やらいろいろから、いかにも我慢がならないので、といってこの暴風雨にどこへ飛び出すわけにも行かなかった。
私は隣の若い夫婦の親愛な言葉や、憎さげに肥えた株屋といった人相の男と芸者達がやる賭博と、下等な笑い声をじっと忍従の心で聞くより他に道はなかった。
私はせめて家の屋根でも見ている方がましではないかと考えたので、女中に頼んで道路に面した側の部屋へ移転させてもらったのだ。ここは幸いにして雨も風も吹き込まず、ともかく町家並が眺め得られるので大いに幸いであった。
ところで私は欄干へもたれて、向かい側に並ぶ家々を見渡して愕いたのだ。その家々というのは皆女郎屋なのである。その上狭い町だからその女郎屋の二階座敷は私の座敷から約一○メートル位以上離れていないのだ。そして何もかもがことごとく見えるのだ。私は暑いのに一晩中欄干へも出られず、ふすまに面して憂鬱であった。その翌日も暴風雨はやまない。蒸暑い一日を繰り返し再びふすまの絵を眺めて一夜を送った。
その翌日、太陽の光を見るや否や、私は停車場へかけつけて、何はともあれ大阪までの切符を買ってしまったのであった。
汽車に乗ってよく考えてみると、天気は素晴らしく美しいのだ。瀬戸内海の波は何ともいえず素晴らしく輝いているのだ。それに私は大阪行きの汽車に乗り込んでいるのだから馬鹿げているではないかと思ったことがある。
夏の水難
女難は、必ずしも艶《つや》っぽいものとは限らないそうだ。電車の中で、ちょっと婆さんに足を踏まれても、女難の一つだという事を聞いた、あるいはそうかも知れないと思う。
私には水難の相があると、昔、或る人相見がいったのを覚えている。水難といっても、必
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