注意にも私は申告を怠った、今度は私の収入はすこぶる増加していた、全くこれだけの収入が本当に確実にあったらどんなにいいだろうと、私は喜びかつ歎《たん》じた次第だ、可笑《おかし》な事にはかなりの店を持った商人である処の私の友人Hよりも私の方が多額納税者となっていた事だった、もち論Hは税金としての最低額を収めているのである。
鞆の嵐
旅行をして、私はああよかった、はなはだ愉快でしたと思って帰ったことがあまりないのでどうも思い出はよろしくない場合が多い。
それはいつも旅行さきへ自分の仕事を持ち廻る為かも知れない。仕事の為に旅行するという旅商人が旅する如く官吏が出張する如く、あるいはより以上に仕事のことをのみ考えさせられて旅そのものを楽しむという心が仕事の下積みとなってしまうせいかと思う。
まったく、われわれの旅は情なく悩ましい旅である。だから私はカン※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]スとか、絵の道具とかいった何ものも持たず、ただふらりふらりと歩くことが一番楽しい気持ちである。ところで悲しいことには、山を見ても、海を見ても、家を見ても、木を見ても、いい日よりであっても、絵描きは絵を思わずにはいられないのだから困ったものだ。
あの景色なら二○号にうまくはまるだろうとか、あの色とあの色の調子は素晴らしいとか、これこそおれのモティフだとか、この景色は誰の絵に似ているとか、こんな美しいものなら絵の道具を持って来ればよかったとか、いろいろ様々のことを考えて、山川草木を無心に楽しむことが出来難いのである。
地図を案じ絵具をそろえ、トランクを担いで、いざ旅行だと思うと、もうはや多少重くなるのを感じる。汽車に乗れば窓からの景色が一つ一つ苦労の種となって現れる。いい構図だと思って見る時、汽車は猛烈に走っていて、たとい止まってくれたとしても泊るに家もない場所である。
ようやく目的の地へ着くと、そこは家の屋根が平たくて、何々廻送店とかいったものが並んでいて、地図で眺めた夢らしいものは影もないのだ。そして宿屋は避暑客で一杯であって、彼らは芸者、情人、若い妻君等とともに寝そべっていたり、ビールを飲んでいたり、海水着をつけてみたり、芸者ははちはち[#「はちはち」に傍点]をしてみたりやっているのだ。
その中へ割り込んでカン※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]スの枠を組み立て、
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