、お雑煮を喰ってしもうた処位かと思う。うまい事をしやがるな、一ぱい喰いたいなアと思う。今おなかも少しへっているのだ。今俺は、ストーブへまきをたいて、田舎の電気は暗いのでマメランプをともして、この手紙をかいているんだ。
お正月が来ても、いなかはシンカンとしたもんだ。何んのかわりも無いので、気ぬけみたいなもんだ。
三十一日と云えばずい分日本では忙がしい日だが、一向忙がしそうにしている奴も無い、常と同じだ。
もう大分ねむたくなって来た、もうねる。あすは元旦やが、マー近くのニースの町へでも出て、写真なと写してくる。そして何か見物でもしてくる。
此の間から写した写真の中で自分の肖像だけ送る。一枚は室内で帽子を被っている処だ。
どうせ二月の船で帰るのだから、あとの写真は送らずに僕がもって帰る。もうねむとなったからコレでやめる。泰弘はどうしているか。
一九二二年一月二日
今日は、お正月の二日だ。うちでは皆どないしているやろうと考えている。
西洋の田舎も、のどかでよろしい。きのうから、八号と十号とをかき出した。
日本へ帰ったら、このホテルの部屋位のアトリエーがほしいと思う。そして、ストーブにマキをたくのは、実にいい気もちだからね。
写真を又焼き付けたから送る。榊原と正宗さんとが写っている。洋服着たガス会社の工夫みたいに見えるのが榊原君である。
今日、村の呉服やで、田舎の女がスカートにする、赤地に白のシマの入っている、面白いキレ地があったので買ったよ。丁度皆で三メートルあった。
此の間ニースの町へ行ったら、ステキな櫛があったので買った。
こいつは、ビックリする程高かったが、入ったので出るわけに行かず買っといた。巴里でも三ツか四ツ買った。
一月七日
どうだ、もう十日戎が来るな、日本は寒い頃だろうと思う。ここは日中はオバーなどはいらないくらいぬくい。然し、きのう今日はそれでも霜が降りて、日蔭は氷がハッて日中でもとけない位だ。然し、天気は極く毎日々々上等だ。日本では、絵をかきかけるとすぐ天気の都合を気にするが、ここでは天気はいい天気一点張りであるから、心配がいらないよ。十号をかきかけたが永い間絵をかかなかったので、やりそこねた。そして、きのうと今日とで八号をかいた。これは面白く仕上った。今度は十五号に、いい場所を見つけてあるので、かこうと思って楽しんでいる。
外国に来ては、絵は一枚もかかずにと思っていたが、さて景色を見ると、とてもとてもがまんがならない程面白い景色があるので、とうとうカンヴァスを張り出したよ。日がセナカからあたって、ボカポカ[#「ボカポカ」はママ]として、絵をかいていてもいい気もちだ。日本では、一月頃には風が吹くから、とても郊外では絵などかけないがね。フランスは風が吹かぬのでいい。
フランス人は絵がすきな人種で、そして油絵はやはり本場だけに、うしろへ立って見ている奴も、中々あいそがいい。今日も、おやじが、お前の絵の色が中々いい、とか、トレジョリー(美しい事)だとか、トレビヤン、トレビヤン(中々いい)などと云って、永い間腰を下ろして見ていた。何か話しかけるんだが、よくわからないので、ウンウンとよいかげんにあしらって、ジャまくさいと、日本語でペラペラ云うてやると、ビックリしよる。そして、ジュヌーコンプランパージャポネーズ(私は日本語がわからん)と云いよる。
此の頃はお正月で、又カルタでもしているのかい。歌はそののち作っているか、いいのが出来たら送れ。
もう然し、来月の末には船にのれるかと思うと、うれしい。此の頃はそのうれしさがあるので、絵をかいていてもはり合いがある。もうこの手紙の返事は、かいてくれてもフランスへ到着する迄に僕がマルセーユを立つ頃になるかもしれないね。
又写真を焼き付けたから送る。カニューの村の近くだ。海岸にはそれは美しい五色の魚船が並んでいる。キレイだよ。トレジョリーだね。
僕のいるカニュー村は、もう、アルプス県に属している処だ。
一月十日
此の頃はこの田舎にも中々落付いていられる様になった。のどかに暮している。初の頃は夕方になると、丁度、垂水に居った時の如く、巴里行きの急行などが走って行くと、すぐ巴里へ帰りたくなって困った。そして、すぐ日本を思い出したりしてな。ここは遠くにアンチーブと云う処の廻旋灯台が見える。その光りを見ても、すぐ淋しくなってしまったのだが、もう馴れてしまった。朝から十五号で Hotel Colonies を近くからかいている。面白く行きそうだ。午後は Cagnes のシャトーをかいている。
もう、四枚絵をかいたよ。日中はこれで絵をかいているので時間を忘れるが、五時に日がくれて、七時にめしだが、この二時間あまりが、全くタイクツでやり切れないのだ。電灯が暗くて、おなかがへって淋しくて。話し相手も、林でも居ると、ずい分面白いが。
まアストーブにまきをくすべて、その火でも見ているだけの事なんだ。
この時間に、写真でも写した日には現像したりして時をまぎらせる。この時間には又、ストーブの火を眺め乍らうちの事をよく考える。まア洋行も監獄へ入ったような気もするよ。早く苦役を了えて、出獄し度いよ。花時分に日本へ帰ったら、出獄の日のK氏の肖像でもかくかね。
昼のうちは、この頃中々忙がしいよ。日がカンカン照ってさえ居ればぬくいからね。景色はいいし、中々絵がかける。
此の間 Antibes(アンチーブ)と云う処へ遊びに出かけた。伊太利風の町で、小さな港がある。ここに毎晩俺の室から見える灯台があるんだよ。
一月十五日――モンテカルロの絵葉書で――
きれいな国だろう。世界中で一番小さい独立国だ、大きさは摂津の国程のものだろう。軍艦がたった一隻あるんだと云う話しだ。おとぎ話しのある国の如く、きれいである。
僕の今居る処から汽車で一時間だ、帰りは海岸をのろい電車で、ゴトリゴトリと三時間かかって帰って来たよ。
ソレは美しいきれいな小さな港があった。
然しここの電車は、人の歩いているのと同じ位の早さで、しまいに腹が立ってイライラして来た。
此の国を通過してしまうと伊太利へ入るんだ。今日は天気がよかったので、十五号をかき続けた。セッカク、フランス迄ハルバル来たんだから、スキな景色はナルベク描いて置き度いと思って勉強しているよ。
一月十七日 カニュー ホテルデコロニーにて
フランスの田舎で、こんなもの凄い塔の中で、たった一人窓からそとの景色を写していると、ツクヅク淋しいと思うね。
とうとう今日は終日、ジトジトと降った。西洋へ来てからこんな事は初めてだ。
一月二十二日 ニイスにて
風呂から上って、汗の止まらぬうちに洋服を着るのが全くつらい。うちでならねころんでやるのにと思うね。
榊原と硲が巴里へ帰ったので、今 Cagnes のホテルは正宗氏と僕と二人切りになってしまった。その代り外国人の客が少しフエた。反って、静かで、落付いてよろしい。
ニースの町の銀行へ金をとりに出かけた。土曜日で、午後であった為め、銀行が締っていた。それでお湯へ入ってブラブラと散歩した。ニースの湯は中々いい。宝塚へ行った事を思い出させる。
ボーイにやるチップと共で、日本の金にしたら五十銭程でゆっくり温もって来られる、のどかである。雨が晴れたあとで、今日は美くしいニースが、特に美くしく見えた。土曜であるので、プラースマッセナ(マッセナ広場)で楽隊が盛んにやっていた。今日は行きは Cagnes のホテル前から、乗合の自動車で出かけた。カジノの前のカフェーの此の傘が、ステキに美くしく並んでいる。
俺もここへ一寸腰をおろして、カフェーを一杯のんだ。
二月三日 カニューにて
もう此の月末には船にのるんだなと思うとうれしいよ。日本を立つ時には、いよいよ此の月に立つんだと思うと、少しイヤな心もちがしたがね。
上海を出たら、船から無線電信で到着の日を知らせるから、神戸へやって来い。
あまり大げさな迎い方をされるとみっともないからね、おまえからよく皆へ云っといてくれ。
同日 カニューにて
日本へ逆カワセを組んで、その金を日仏へ預金してあるので、その金を引き出して、すぐイタリーへ行こうと思ったら、二月七日が期日で、それ迄金は出せぬと云うて来たので、イタリー行きに少し困った。十日頃からイタリーへ行ったら、殆んど見ている日が無いし、どうしようかと思っている。一週間程でローマまで行って、すぐ引返す事にするかもしれん。
二月五日
石濱君からカワセが来た。
日仏銀行から、僕が逆カワセを組んだが、それと行き違いになったらしい、もしかすると僕は二重に金をとる事になるかもしれん。もしそんなせつには、二千円は持って帰るから心配せんように。もし石濱君にでも会うたら、よろしく云っといてくれ。石濱君宛の手紙もかいて出して置いたがね。
今朝、電報が来たよ。二生会と金鉄会とで、僕が帰ったら大に歓迎会をやるんだとか、かいてあった。たって見ると早いもんだね。
明日は月曜日だから、ニースの銀行へ出かけて、カワセの金を受とって、それから、今カキカケの絵を仕上げてしまって、すぐにイタリー行きの用意をして、汽車の座席をとって出かける。イタリーで何か又いいものがあったら買物もし度い。
今日、カニューの村で、二百年前の面白い懐中時計を買ったよ。中々時間も確かでよく動く。面白いクサリをつけて、今日から胸へさげてよろこんでいる。
きのう、おとといなどは、フランスへ来て初めて、大風が吹いた。地中海が大変に荒れている。今日は風が無くなったが、その代り夕方から雨だ。巴里の方が風は吹かず、冷たくても室はぬくいし、淋しくは無し、いいよ。まア此の修道院か監獄みたいな淋しいくらしも、ここ一週間でおしまいだと思うと、うれしい。
此の頃は二十五号で、室内の絵をかいているんだ。おかアさんも、三休橋も、丼池も、安堂寺町も、皆たっしゃかね。
泰弘は元気だろうね。
何か買って帰ってやろうかと思うが、全くおもちゃは、フランスにはロクなものが無いので困る。オモチャはアメリカか日本だね。セーター類は大分買った。これから又、イタリーとマルセイユとで、いろいろと買物をするつもりである。
キレ類も面白いものはナルベク買って帰るつもりだ。もうキレの面白いのが、大分たまっている。安くて、面白いもんがどっさりとある。
色々と買ったものを、大トランク二ツへギッシリつめ込んだが、買ったものを大かた忘れてしまって、中々思い出せない。
僕も早く帰って、トランクをあけて、ゆっくりと楽しんで見たいのである。早く、早く。
二月八日
今二十五号の絵を室内でかいているんだが、これを早く仕上げて、すぐイタリーへ行こうと思っている。十日過ぎに立って、二十日に帰るつもりだ。まア一週間だね。
もうグズグズしていられない、何んとなく気が忙がしくなって来た。そのかわりに、タイクツが無くなって結構だ。
二月十九日
今日はニースの有名なカーナバル祭である。午後出かけて見た。赤や青の紙のコナを顔へあびせかけられて来た。町中がおどり狂うている。大きなダシがどっさり出ている。然し日本の御大典おどりの如くきたなくはない。全く美しいもんだ。
二月十四日
マルセイユより、フランスの最後のハガキを出す。このハガキと僕とが日本へ競争で走るが、これはアメリカ経由だから、この方が少し早い事と思う。荷物は全部整頓した、あす全部船へ積み込む次第である。
底本:「小出楢重随筆集」岩波文庫、岩波書店
1987(昭和62)年8月17日第1刷発行
「小出楢重全文集」五月書房
1981(昭和56)年9月10日発行
「大切な雰囲気」昭森社
1936(昭和11)年1月6日発行
底本の親本:「大切な雰囲気」昭森社
1936(昭和11)年1月6日発行
※オリジナルの「大切な雰囲気」に収録された作品を、まず「小出楢重随筆集」からとりまし
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