は日本人が十人ばかりだ。だからまるで日本に居る様な感じがする。
 日本から手紙なぞもパリ宛で来て居る事と思うが、もう二週間程して、パリへ帰ったら、見る事が出来るだろうと思って、楽しんでいる。美川君が送ってくれるかもしれん、手紙は出して置いた。
 うちは皆、たっしゃか、重子もたっしゃか、泰弘も。皆の健康を祈る。
 僕は至って健康である。だれかが西洋へ来ると、空気が乾いているので小便が少くなる。大便は肉食の為めに少くなる、出なくなる、とか日本で聞いたもんだが、中々外国へ来てみたら、そんな事は少しもない。毎日、日本に居る時よりも、大きなババが時間違わず出やがるし、小便などは、ジャアージャーと、よく出るよ。小便とババとをしに、西洋へ来たのかしらんと思う位だ。
 Pension Erichsen 下宿の一週間分のツケを入れて置く。一マルクが一銭五厘だから、安いもんだ。これで食事付きだよ。二百九十六マルクだから、計算したらすぐわかる。

 十一月二十日
 ドイツから巴里へ帰ると、何もかもが華やかで、太陽が明るくて、又春が来た様な気がする。この二三日は又特にぬくい。ドイツへ行く前よりも、帰ってからの方が、大変巴里で落ちつける様になった。もう何もせずにでも一日ゴタゴタと、丁度八幡筋の二階で住んでいる如く、ぼんやりと暮す事が出来る様になった。そして夜は写真の現像などしたり、焼付けたりして時間を消している。此の写真のレンズは、小さいが頗るいいレンズだよ。此の写真を撮った日などは、それは暗い日だったが、十分の一のシャッターで、こんなによくとれているんだよ。
 ドイツでは帰りぎわになってから写真機を手に入れたので、あまり沢山ウツせなかった。巴里でうつしたらボツボツと送るよ。今日はとも角今迄のを封入して送る。
 きのうは、サロンドートンヌを見たよ、中村と一ショに。あまりくだらない絵をどっさり見たので、絵そのものにあいそがつきて、絵かきがやめたくなったよ。三十分程で逃げ出した。
 当分のうち巴里に居る。もう巴里を南へ出発すれば、再び巴里へは帰らないつもりだからよく巴里を見て置く。そして買物したりなどする。古道具屋をあさる。
 いよいよ巴里を去る事を思うと、さすがにおしい気がするよ。
 買物万端整うたら、カンヌの方へ行く。正宗得三郎氏が、僕と同宿になった。正宗君の紹介で、カンヌへ行く事になる。
 手紙はやはり 23 Rue Weber(16e)Paris France 宛でくれてもかまわない。ここに居る僕の知人がよそへ行くと云ってたが、やはり居すわる事になったから、美川君宛でもよろしい。

 十一月二十八日
 もう、巴里もあと十日程でお別れだと思うと、中々残りおしい気がする。
 もっぱら、毎日買物にあるいている。中々すばらしいものはとても高くて、あとの費用に差支えるし、なるべく安いもので、そして僕や重子のすきそうなものをと思って、探している。
 あたまへさすクシは五ツ六ツも買って帰る。手さげのオペラバッグのステキな品のいい奴を買ったよ。袋もののいい奴を少し買った。サラサも買ったよ。泰弘のかぶるフランス風のステキな面白い帽子も二つ三つ買って帰る。女の洋服は仕入れなぞはとてもだめだしするからこれだけはあきらめる方がいい。その代りにいろいろとよさそうなものがあり次第に買って帰る。
 男のものは買い易いが女のものとなると、中々ハズカシイ気がして、そして商店の番女などがジロジロみる様な気がして、中々買いにくいぜ。此の間も櫛を買ったよ。まっ白でホリがあって、すてきに面白いのだが、買うのに汗をかいたよ。それから、ルイ十何世時代の面白いフランスの人形を、古道具屋で買った。中々いいもんだ。いいものを買うと、すぐに見せ度くなるので、飛んででも帰り度くなるんだが、中々あと二三月しないと、船にのれんと見う[#「見う」はママ]と、なさけないね。
 然し、僕の様に、来るなり帰りの船を注文したりしている人はめったにないぜ。一番早く帰るのは僕だから。
 泰弘に着せるセーターなぞも、買えたら、オバーも買ってかえり度いと思う。これは美川君につき合ってもらって、一日にスベテを買ってしまうつもりだ。
 それから、見るものも見ねばならず、中々早く帰る為めにはカナリ忙がしいよ。もうパリも目をつぶってでもあるける様になったよ、中々大したもんだ。
 ドイツでは画の書物をカナリ買い込んだよ。上等のトランクも買ったよ。
 写真を又二三枚写したから送る。俺のベッドから姿見の大鏡に写っている自分を、自分で機械を持って写したもんだ。自画像だよ。部屋の中で、セーターを着ている処だ。
 この頃は、こんなねまき(ピジャマ)を着ている。ドイツで一つと、フランスで一つと買ったよ。
[#ねまき(ピジャマ)の挿絵(fig3555_05.png)入る]

 十二月五日 晩十一時半
 今ズボンをたたんでいて、一寸考えた事であるが、日本を出る時にセンベツにもらった品物の中で、何が一番重宝で役に立っているかと云うと、おとよはんとこのお師匠はんに貰ったズボンツリだ。あんないいものはフランスにも無い。今度会うたらお礼申しといてくれ。毎日つかわぬ日は無い。
 それからお玉はんにもらったものも記憶しているが、氷砂糖だ。毎晩湯をわかしてのむ時に、あれを一つ入れてのむ。正宗、岡田なぞ近所から毎晩のみにやってくるんだよ。全く、何が重宝だか、来て見んとわからんもんや。氷砂糖なぞは印度洋ですててしまうつもりだったが、中々御恩に預かっている次第だよ。
 一番弱ったのは、ケーキだ。船の中ではケーキなぞに不自由しないので、スッカリ忘れてしまって、印度洋で思い出してあけて見たら一寸程カビが生えて、のび上っていたよ。まっくろけだ。印度洋へ水葬にしてやった。

 十二月十六日
 今晩、手紙(おかアさんと吉延さんとから)を落手。何しろ、二ヶ月以前に僕がかいた手紙の返事を、今見る事であるから、ずい分ヒマのかかる仕事だ。頭をなぐられてから二ヶ月目に痛いと感じる様なもので、ずい分頼りない話しだ。此の頃は巴里もおいおいと、ま冬の最も日の短い最中であるので、朝は八時に夜があけて、晩は四時で日がトップリ暮れてしまう。電灯は一日つけ切りと云う様なもので、かどが暗くて、朝の十時頃に電気がついていると、一寸日本のお正月の元日の朝の様な心もちがする。冬の巴里も中々味があるもんだ。此の頃はもう、巴里にもなれ切ったので、次に来た人の案内をやっている位だ。巴里という所は、絵の勉強でもしようと思うと、一向につまらない処だが、お金をどっさり持って、買物でもしたり、ぜい沢していれば、それこそ何年居ってもあきないかもしれん。
 此の間から、もう南フランスの方へ行くので、その準備をしたりしていたが、さて巴里を去るとなると、中々、巴里もすみなれて見るとなつかしいもんで、一日一日とのびて行く。毎日買物をしているが、とても、いいものは高くて買えない。すきな古道具の面白いのや、キレ類のキレイなのがどっさりあるが高い。安いので、面白いのをチョイチョイ探し出すのに興味がある。毎日此の頃は、正宗氏と一ショに道具屋あさりをやっている。もう荷物がフエたので、又大形のトランクを一つ新調した。コノ中へ買ったものをつめ込んで帰る。帰って皆の前でフランスみやげをホリ出す時が一寸面白いぜ。一寸半年間天狗さんにつままれていた様なもんで、その天狗さんにもらって来たおみやげだ。中々天狗につままれ賃が高い。やはり全部で七千円はかかる。
 帰りの船賃と小使とが足りないので心細いから石濱君宛で、此の間、日仏銀行から逆カワセをくんでもらった。(千五百円)石濱君の方へ銀行から通知があった事と思う。
 ウチの事は大変安心をしている。僕も西洋の食いものが胃袋に適する為めか、毎日運動もよくするのと一ショで、全く胃が悪くなった例しが無い。今度帰ったら食いものだけは毎日巴里と同じものがたべたいと思う様になった。
 朝九時キャフェーとパンを喰って、一時が昼飯で、晩が七時と、キチンと巴里全体が定っているのでまるで胃腸病院へでも入った様なもんだ。胃がよくなるはずやなアと感心する。
 追白
 もう、此の二十一日の汽車で南フランスの、キャニューと云う処へ出発する。正宗得三郎さんと一ショに行く。そこには、そのホテルには、日本の画カキさんが、まだ外に三四人居るそうだ。硲君は、一足先きへ出かけた。日中は日かげをあるく方が気もちがよい程ぬくいそうだ。
 二月二十五日に箱根丸が出る迄はココに滞在の予定だから、手紙はココ宛に出してよろしい、ホテルが又変ったらしらせる。
 Grand Hotel des Colonies,
    Cagnes France.

 十二月十九日 パリにて
 もう巴里での買ものも、打ち切る事にした。平均、日に百五十法はかかるから、とても破産してしまう。そのわりには、一向にほしいものも買えない。巴里では、買物に一万円程小遣がほしい、ずい分ほしいものが買える。泰ちゃんに何かおもちゃと思って探したが、巴里は子供を一向大切にせん処であるらしい。そしておもちゃと云えば、随分貧弱なものばかりだ。心斎橋の金太郎ほどのいいおもちゃを売っているうちは無い。何しろおもちゃのいいのは米国だ。その次が日本だそうな、だから巴里ではほんの紀念だけにして置いて、そのお金で日本へ帰って自転車でも買ってやる、その方がいいだろう。
 今日古道具やでカナリ大きな、ステキな、昔のフランス出来のイチマを、八十五フランで買ったよ。それは可愛いステキなもんだよ。うれしくてたまらない、早く見せ度い、荷物が入り切らぬので、大きなトランクを一つ買入れたよ。

 十二月二十五日
 いよいよカニューへやって来た。田舎びた美しい、殆ど伊太利に近い海岸である。一寸魚崎辺に似ている。今日はクリスマスの日である。昨夜は田舎の町の活動写真へ入った。今晩は村の人達が夜の十二時から、ここのお寺へ集って祈りをするので遅くまでにぎやかだ。
 気候も日本の魚崎辺のぬくさに似ている。

 十二月(日不明) カニューにて
 此の海岸は、須磨明石垂水と云う様な処である。ぜいたくな処だが、僕のいる田舎はさも田舎らしい処だ。
 きのうは、カンヌを見物に出かけた。あすはモンテカルロへ行こうと思う。同じホテルに正宗、中村、榊原君などがいる。あまりカンセイであるので、巴里へ帰り度い気がする。
 この近所にカンヌ(Cannes)と云う処と、僕のいるカニュー(Cagnes)と云う処とあるのでややこしい。

 十二月(日不明)――P. Sicardy's 写真入カードで――
 Cagnes の村に、ただ一つ、活動写真小屋がある。僕のいるホテルの、すぐ裏手だ。帽子も被らずにとび出して、見に出かける。夜の八時半から始まるんだ。写真は、アメリカものが多いのであまり面白くも無いが、村の人が多勢見に来ている、そして接吻の場面になるとキアキアと大騒ぎになる。田舎の人でも、実に日本と違って、行儀がよいので、大変気もちがよい。この写真は余興に出る歌うたいだ、流行歌をピアノに合して歌う。あとで帽子を持って金をあつめに来る。そしてこんなカードをくれる。この村には、風呂屋が一軒も無い。ホテルにも風呂が無いので少し困る。ニース迄汽車にのって行かねばならぬ。

 十二月二十九日
 朝晩はかなり冷たいので、ストーブにまきをくすべて暖まる。きのう迄、部屋がいけなかったので、少し落付きが悪かったが、いい部屋とかわった。朝日がさし込んでくる、明るいいい部屋である。此の近くのニース及びカンヌは、この辺でのいい町だ。ここへ出れば一寸巴里を小さくした様で何でも必要なものは整う。
 自分の部屋から、地中海が見える。五丁程だ。
 伊太利の連峰が、左方に雪を被って並んでいる。日本から近ければ、海の家だとか云うて皆遊びに来ればすてきなんだが、遠いのでしかたが無い。

 十二月三十一日
 今日は、十二月の三十一日だ。カニューは夜の十時だが、日本ではもう元日の朝だろう。丁度今
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