なると、この枕のみの鑑賞だから、したがってある形を整えたる落語の作品をしゃべるより以上に、漫談師の人格と心がそのままに現れてしまう。したがってよほど心もちのいい男の漫談でない限りは、ややもすると鼻もちのならない汚なさを放散する。
 そこで私は漫談というものもおいおいと自作の勝手な漫談でなく、ある漫談名家の作を、例えば円朝師匠の何々を一席というふうに行う方がつまらない汚なさが現れず、聴衆の迷惑を軽くすることと思う。
 だが、ともかく漫談師という専門家のものは、何といっても話術のコツは心得、その上音曲など交えたりして、ついわれわれをそのわけもない言葉で引きずって行き時間を忘却させもするが、重役や知事、助役、実業家達もするという漫談ぐらい迷惑なものはない。
 その点では私はむしろ田舎の校長がフロックコートの色あせたるものを着用して、うやうやしき最敬礼とともに朗読するところの祝詞において、純粋な心をこめた田舎料理を御馳走になっているぐらいの心からの親愛と、本当の笑いが心の底から立ち上がってくることも感じる。
 先頃もある知人の結婚披露宴に招かれた。すなわち実業家の大群で大広間は充満していた。

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