せいつ終わるという見込みさえ立たなくなってしまうのである。
漫談には落語の如く落ちがない。でも話の終わりというものは、何か終わりらしい終局を見せねばならない。結び目なき話の尻は走ったままの電車であり、幕の閉まりそこねた芝居でもある。都合のいい時に幕を下ろす手練は来賓総代ではなかなか困難な芸当である。
昔は長い浄瑠璃の一段によって人を悩ました連中は、今や漫談という新しい武器を持って立ち上がった。
漫談師も罪なものを発明したものだ。大体本ものの漫談も私はその少量は聴いてみたこともあるが、どうもあれは落語の序文というと変だが、何でも枕というらしいが、あの枕ばかり並べたレヴューふうのもので、いよいよこれから、さてといって羽織を脱いで楽屋めがけて投げ込むところの、その話の本題がないところのものだという気がする。
私は名人の演じるある枕を本題の話よりも面白く聴くことがしばしばある。そのいいまわしやその枕の題材等によって、うまく人の心を本題の方へ引き寄せつつ浮世雑景を描くところに、名人の心を感じることが出来る。そしてこの枕のうちにこそ落語家自身の人格がもっとも著しく現れる。
ところが漫談と
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