これは毎年|定《きま》って父の感心するレディメードなのだ。元旦は相変りませずということがいいそうだから、多分父も相変らず一度いったことを毎年継続しているのかも知れない。
腹の中が雑煮《ぞうに》で満たされた時分、障子の細目が明るくなって、電燈が消えるのだ。私は洋服をきせてもらって、紅白のまんじゅうをもらいに、学校へ行く。二十四孝の描かれた屏風《びょうぶ》、松竹梅、赤い毛氈《もうせん》、親類の改まった顔等、皆正月を正月らしくする画因であった。
この現代でも、まだこれ以上複雑な正月を続けている家もあることと思う。さて私の今の生活では一つの神棚もない。面倒くさくはないが何の情景もない。屋外は常の如く松林である。昔の祝膳《いわいぜん》だけはそれでも並べて見るが、畳敷の洋館へ出た朱塗りの膳は、警察の小使部屋《こづかいべや》の正月を思わせる。屏風も立てず、松竹梅もない。勿論《もちろん》廻礼もしない。用事がないから朝も十時まで寝込んでいる。甚だ簡単だ。それだけ近ごろの新春は軽便に来て軽便に去って行く。行ったかと思う間もなくまた訪れる。どうも年々にスピードを増すようだ。
大久保作次郎君の印象
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