合っていた。するとR子の神経は私へ、私の神経はR子へ乗りうつって、とうとう私達はともに死のうといってしまった。死ぬより外に面白いことはなかった。
その翌日病院からの手紙の一節には「私とともに死んで下さることにお心きまりし由うれしく存じ候」と記されていた。
ある夜の八時ごろ、病院から抜け出した二人は、千日前の安写真屋で記念の肖像を撮って、南海線を南へ南へと散歩した。R子は、さあここがよろしいといったが、さあと声がかかると私は「ちょっと待って」と制した。
せっかく来た汽車はまた行き過ぎてしまった。
私はふと、銭入れの中に守札のあるのに気がついた。それで気おくれがするのだと思ってそっとまるめて道ばたへ捨ててみたりしたが、どうも構図のいい場所はさらに見つからなかった。
6
重クローム酸カリを、大コップ二杯へなみなみと溶解して、毎晩夜半になると二人は乾杯を試みたが、さあとなるとあの黄褐色は私の食慾をそそらなかった。
やはり軌道と動輪との間の鋭角がいいと感じた。ある日また病院をぬけ出した二人は五、六里の郊外を散歩してその日暮れ時に、ちょうど適当な構図を発見した。森
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