《さんけい》すべきお寺について相談している婆さんの五、六人が、電車とバスの間に挟《はさ》まれてうろうろする。それを救助して電車へ押込まなければならぬ。それを私が眺めていてついでに叱られたりもする。
私は時々、この多くの自動車やその他の動くものの中で、何に轢殺《れきさつ》されたら比較的|悔《くや》しくないかを考えることがある。ヒョロヒョロと飛び出す自転車の如きごまのはい[#「ごまのはい」に傍点]はけち臭くて厭《いや》だし、リヤカアの類は軽率だし、自動車なら多少|我《が》まんが出来るかも知れないが、それに乗っている男の事が気にかかる。即ち毛ずねを現わして芸者にもたれかかっていたりでもすると、これはうっかりやられては死に切れないと思う。といって、自家用の光輝ある高級車もいいが、乗っている主人の顔を見ては死ぬ気にならぬ。素晴らしい美人ならあるいはどうか知れないけれども、それが何々の重役、何々博士の愛妾《あいしょう》ででもあったりしてはやり切れない。
あるいはバスか、トラックか、もうろうタクシーの方が死ぬにはむしろ気楽でいいかも知れない。なまじっかな見舞金や香奠《こうでん》の金子《きんす》
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