ま煙となってしまったりするのを私は見る。
 さような事件が、あまりしばしばあり過ぎたりすると、この自分の頭も何時《いつ》ぽん[#「ぽん」に傍点]という音と共に終りを告げるかも知れないし、また終を告げ損じて破れたるフィルムとなって生き残ったりしては、これまた怖《おそ》るべき事件でもある。
 さてこれらの怖るべき惨禍が至る処に毎日起るほど、東京や大阪の市街は文明なのかと思って見るに、私はそうだとは思わない。
 それは未開地であるが故に起るところの惨事ばかりだといっていい。訓練不足の民衆と、乱雑不整頓、無茶苦茶の都会交響楽であり、飛鳥山《あすかやま》の花見の泥酔の中で競馬が始まった位の混乱だ。
 だから、日本の交通巡査位骨の折れるものも少いだろう。彼らは手を打ちふりつつも群衆を教育しつつある。その白い手袋の運動を剣劇の興味を以て、丁稚《でっち》小僧の大勢がぼんやりと自転車を抱えながら眺めている。そのファンであるところの彼らを「コラッ何をぼんやり立っとるか」と叱《しか》り飛ばさねばならぬ。その間に一台の猾《ずる》いタクシーが白線から飛び出したがために叱っておく必要がある。叱っているうちに、参詣
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