はまたその姿のみを描いた。だが、われわれの周囲が都会であり、近代であり、それが極度に発達し、機械がわれわれの生活を包んでしまえば、われわれは山川草木を見る以上に、毎日機械を眺め、それに包まれてしまう。すると、われわれは山川草木を愛していたとその同じ心でボイラーを愛しエンジンを磨く。昔は塩原多助《しおばらたすけ》が馬のために泣いたが、今はキートンが機関車と別れを惜《おし》む。紳士は十六ミリ映写機の滑《なめ》らかなる廻転を賞し、その運動の美しさに惚込《ほれこ》み、自動車の車体の色彩に興味を覚え、エンジンの分解に一日を費《ついや》し、その運動に見惚《みと》れたりする。超特急「燕《つばめ》」の大機関車が不思議な形の水槽《すいそう》を従えつつその動輪を巨大なるピストンによって廻転しつつ動いて行く形こそは、どれだけ近代人を悦《よろこ》ばせ子供の心を感動させているか知れない。
だが、自然が作ったという山川草木、昆虫、人体でさえも、それを解体し、分解し、顕微鏡で覗《のぞ》けば、それは驚嘆すべき極端に精巧を極《きわ》めた機械であるということが出来る。人間の構造、その精巧なる機械、それはツェッペリンより
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