よる船で下ったことがあった。それは晴れた八月だった。途中で夕立に会ったり、船で弁当をたべたり、話したり写生したりしつつゆるゆると下ったことを覚えている。今はプロペラーの音響によって妻に話しかけても知らぬ顔をしている。妻が何かいっても私には聞えない。友人も口を動かしているらしいがその意思は一切通じない。いい景色だということさえもお互に語り合うことの出来ない二、三時間は、昔の五、六時間の下り船よりも私に歯痒《はがゆ》さと退屈を感ぜしめた。
しかしながら、この不精者をここまで引ずって来て自然の妖気に触れしめたことは即ちデイゼルでありプロペラーでもある訳だ。その代り妖気も神様ももうそろそろ引越しの用意に御多忙のことであろうと思う。
舞台の顔見物
高座へ上がる落語家、講談師、新内語りの名人達の顔を見るに、多くは老年であり何か油で煮つめたような、あるいは揉み潰したような、奇怪にして異様な有様を呈しているものが多いようである。しかし決してその奇怪さや異様さが、悪人とかうす気味悪いものであるとは思えない。奇怪ながらも渋味ゆたかに掬す[#「掬す」は底本では「掬う」]べきものがあり、その芸と
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