。大洋と濃緑《こみどり》の山と草木の重々しき重なりの連続であり、殊《こと》に九里峡《くりきょう》と瀞八丁《どろはっちょう》の両岸に生《お》い茂る草木こそは、なるほど人間と恋愛するかも知れないところの柳が今なお多く存在しているらしく、秋成《あきなり》の物語りは本当にあった事件の一つにちがいないと思わせた。
 私が瀞八丁を尋ねた時は梅雨中のある猛烈な風雨の日だった。一丈あまりの出水でプロペラー船が出ないかも知れないとさえいわれた。従って瀞らしい風景は見られなかったが、とても濃緑の世界と陰鬱と物凄《ものすご》い水の力を眺めることが出来た。というと私も大変強そうだが内心もう船が出なければ幸いだろうと考えて見たりした。ところが、あるお蔭《かげ》をもって、船が出るというのだ。猛雨と激流と深い山々と岩壁と雲の去来の中を走る船は竜宮《りゅうぐう》行きの乗合《のりあい》の如く、全くあたりの草木の奇《く》しき形相と水だらけの世界は私に海底の心を起さしめた。ある旗亭《きてい》でめしを食いつつ見おろした。嵐の瀞の光景は白い波と泥だらけの八丁だった。
 中学時代に、私はこの十津川《とつがわ》の九里峡を艪《ろ》に
前へ 次へ
全152ページ中37ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小出 楢重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング