る。
 草木の葉は刈取るとすぐ萎《しな》びてしまうが毛髪は萎びない。
 人間の毛髪を刈取ったものを私は寺の本堂や小さな祠《ほこら》の壁や柱に、亥《い》の年の女とか何とか記されて吊《つ》り下げられてあるのを見る。多少の埃《ほこり》が積《つも》っているので汚いけれども、よく掃除をして見たら相当の光沢を生前の如く現すだろうと思う。
 真夏の昼、蝉《せみ》の声を樹蔭に聞きながら本堂の縁側に憩いつつ内陣の暗闇《くらやみ》を覗《のぞ》くと、この女の黒髪が埃をかぶってその幾束かが本尊の横手の柱から垂《た》れ下っているのを見るとき、いとも冷たい風が私の顔を撫《な》で、私の汗は忽《たちま》ちにして引下るであろうところの妖気《ようき》を感じるのである。私はこの不気味を夏の緑蔭に味わうのが好きである。そこには女一代の古びたるフィルムの長尺物《ながじゃくもの》を感じることさえ出来る。
 さて、近代的交通機関とその宣伝の行届く限りの近郊風景は悉《ことごと》くこの黒髪の妖気と閑寂なる本堂の埃と暗闇の情景を征服して、寺といえども信貴山《しぎさん》となり生駒《いこま》となり六甲《ろっこう》となり、電燈とケーブルと広告
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