条派の絵画も近代の展覧会場では全くうすぼけた存在に過ぎないけれども、一たび、うす暗い床の間に懸《かか》ると、忽《たちま》ち滝は雲煙の間を落ちて行く。
かように絵画と生活とがぴったりと出合っていた事は、全く結構な状態だったと私は今になって考える。ところが現代では安い文化住宅のみならず、豪奢《ごうしゃ》な別荘の洋室においてさえも、絵画らしいものは一切見当らない事がある。時に洋行土産と称するいとも俗悪なライオンの刺繍《ししゅう》が目をむいていたりする。春が来ても、夏が去っても、秋が来ても、全くの無関係においてライオンは相場師の形相において家族と来客を睨《にら》んでいる。
子供の成長してからの追憶は、常にその汚ないライオンであるだろう。
あるいは時たま、義理で買いましたと嘆息しながら掛けてある一枚の油絵があったとしても、それが多分その主人の一代は変色しつつも懸ったままであろうかも知れない。そんな絵に限って、額は左右いずれかへ傾いて歪《ゆが》んでいたりする。油絵の額が歪んでいることは大変私の気にかかる。私は他人の家の額が歪んでいる時、それが誰の絵であろうとも一応は正しき位置にまで戻しておく
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