三十年の私の今の文化住宅から見ると全く以て平安なる日本的情景であった。
 盆が来ると寺の住職が大礼服によって出張する。線香の煙と、すず虫と、近松と、お経と木魚《もくぎょ》の音が新秋の私を教育してくれた。と同時に私は略画の情趣を知らぬ間に感得してしまった。何が私に絵心をつぎ込んだかと流行語で問うたなら、近松|門左衛門《もんざえもん》がそうさせたといえば足りるであろう。
 床の掛物が、学校教育よりも私自身により多く作用した事は恐るべきものである。

 床の間といえば、夏になると必ず出る滝の図があった。渡辺祥益といって天満《てんま》に住んでいた四条派末期の先生の作で、その画風は本格的で温柔そのものであった。図は箕面《みのお》の滝の夏景である。青い楓葉《ふうよう》につつまれたる白布の滝が静かに落ち、その周囲は雲煙を以てぼかされた。その座敷へ夏の太陽がさし込み、反射が暗い床の間を照して、その滝はすがすがしくも落ちていた。
 甚だ病弱だった私は裏に住む漢方医者に腹を撫《な》でてもらいながらも、その滝に見惚《みと》れた。その医者が、ちょっと竹に雀《すずめ》ぐらいの絵心はあった。私に[#「私に」は底本
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