却する事が出来、あらゆる他の慾望を持たなかった。ただ夕刻になると皺の延びたる一枚によって、も一つの三昧境の陶酔を買いに行くのであった。芸術家の至上主義が昂《こう》じると生活が乱れやすいが、老人のこの主義は真《まこ》とに安全だから結構だと思って見たりした。甚だ合理化された避暑法だ。
 とにかく、私は夏を愛する。そして冷たい秋風と残暑による重油の汗の季節になると、私の胃腸はよくない変化を起していけない。

   太陽の贈物

 人間の行事もこと面倒だが、自然が行う行事もなかなか手数のかかる準備をやっている。新秋の行事はすでに初夏においてそのことごとくが整頓準備されている。夏の初めのころだった。私の画室のテーブルに一匹の蟷螂の子供が現れた。その子供はまだ五分の長さを持っていなかったのに、蟷螂としての条件はことごとく備えているのだ。私は虫眼鏡を取り出して覗いてみた。すると彼は頸を傾けて私を睨んだりする。しかしまだ羽根は生えていないが、その勇ましき姿は蟷螂の少年団を思わせた。
 私は彼を筆の穂さきへのせて、やがて来たるべき新秋のためにかどの叢の中へにがしてやった。ところが今それらが成人して朝顔の
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