が新しさに馴れてしまったといってもいいと思う。例えば今やショウウィンドの装飾から、ポスター、新薬の広告から、活動写真のプログラム、カフェーのステンドグラスから、銘仙の新柄、女帯の模様の新工夫、軍艦の構造にいたるまで、それは構成的であり立体派的であり、シュールリアリズム風であったりしているので、全く今はそれらの事柄が判らないとはいっていられない。それは空気の如く雨の如く民衆の頭の上から降り注いでいるのだから、むしろどうかするとアカデミックな絵画が珍奇に見えたり、二科のうちでも印象派あたりの落ち着きある作品などは、ことごとく古風な芸術品と見えて来たりすることさえある位のものである。
 しかしながら二科では実はもう五、六年以前、ことに大地震の秋あたりはことの外、今より以上の獣性、近代性、立体性の作品の多くを示したことを私は記憶している。そしてそれらの作品を集めた部屋へ入ると、人々は妙な顔をして顔をしかめて通ったものであった。
 ところでようやく世間が、今それらのものに対して初めて食慾を覚えて来たのである。そしてそれが通常のことにまでなりつつある。すなわち彼女達の帯と、着物の柄と、絵画と、皆揃
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