笠山《みかさやま》で眺めたと同じその明月が憐《あわ》れにも電光に色を失って気の毒にも誰れ一人見るものなく、四角な家と家との間に引懸《ひっかか》っているのだ。私はあれは天の金ボタンかとさえ思って見た。だが日本の仲秋の月でさえも、今に天の定紋《じょうもん》となってころがる時が来るだろう。

 甘酒とあめ湯は旧日本の珈琲《コーヒー》でありココアでもあったが、今は奈良公園の夏の夜の散歩において、猿沢池《さるさわのいけ》の附近ではまだ飲む事が出来る位のもので、大体都会ではコールコーヒーとアイスクリームだ。
 さてあめ湯とコーヒーと、どちらがうまいかを考えて見るに、どうもコーヒーの方がうまいとはいえない。だがあめ湯が飲みたいといえば女学生でさえ笑って、理由も何も聞いてはくれないであろう。
 先ず横町のカフェーの珈琲というものは大体において何かの煎じ汁へ砂糖を入れただけのものの如く、でもそれを飲む事が人間の運命となりつつあるようである。田舎の宿屋へ到着した時、多少ハイカラな構えの家では先ず第一に珈琲糖をうやうやしく捧《ささ》げてくる。褐色《かっしょく》の粉末が湯の底に沈んでいる。
 私はやむをえず近
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