気はしないかもしれないよ。
 雪が降って、それが溶けないと云うと、よほど寒そうだが、然し、部屋の中は、火鉢も必要がない。勿論コタツなぞはほしいと思った事がない。手や足はポカポカとしている。それ位、家の中はしのぎよい。外出は自動車を飛ばすから、楽くなもんだ。
 きのう、重子の為めに、又時計を一つ買ったよ。僕の旅費には限りがあるし、いくらドイツがマルクが下がっているとしても、金なぞは世界中相場のきまったもんだから、そして気ザで僕はキライだから、ドイツでなくてはない様な、ガッシりとした、珍らしい小形の銀時計と、もう一つ鉄の黒い一寸面白い時計を買ったよ。黒の時計で、文字は金色でかいてあるよ。きれいだ。
 此の頃、ドイツのマルクが下がったと同時に、コレデはドイツは破産するかもしれないので、物価がズット上ったよ。
 だから、自動車なぞは、僕がドイツへ来た時は、定価の八倍に上った時だったが、此の頃は又急に十五倍にね上げをした。それでも、日本から比べたら安いもんだけれども、何もかもがズット物価が上ってしまったよ。ストライキもずい分多い。
 それから、だれかに一寸おみやげにやる為めに、小さい万年筆やら、皮でこさえた袋物やら、いろいろと買った。他のものは皆フランスへ帰ってから、又いろいろ買う事にする。フランスの方がやっぱり面白いものはあるにはあるね。
 もう、寒くて、外出も出来にくくなったから、明日の午後二時の汽車でパリへ帰る。
 注文して置いた洋服とオバーとが、出来て来たよ。これを着てパリへ帰るんだ。ドイツ風のステキな服が出来たよ。これで、オバーと服と両方で4,400マルクだ。日本の金に直すと六十六円だ、安いもんやろ。
 二三日前から僕が買った写真機で、四五枚写して、うちで現像をやって見たよ。まだ紙に焼かないが、焼いたら送るよ。
 小さい機械だが、レンズがステキにいいので、中々うまく行くよ。
 何れパリへ帰ったら、ゆっくりと便りをする。皆の健康を祈る。泰ちゃん、たっしゃか。
 今居る下宿には、日本人が十人程泊っている。皆、プロフェッサーだとか、医師だとか、そんな人ばかりだ。エカキは俺と林と二人切りだ。めしは食堂へ食いに行く。するとこの宿の家族が食卓を共にする。五十七八のおふくろと、その姉になる人と、頑丈な一寸中村義夫に似た娘さんと、息子とその細君とが、よくテーブルに並ぶ。そして、あとは日本人が十人ばかりだ。だからまるで日本に居る様な感じがする。
 日本から手紙なぞもパリ宛で来て居る事と思うが、もう二週間程して、パリへ帰ったら、見る事が出来るだろうと思って、楽しんでいる。美川君が送ってくれるかもしれん、手紙は出して置いた。
 うちは皆、たっしゃか、重子もたっしゃか、泰弘も。皆の健康を祈る。
 僕は至って健康である。だれかが西洋へ来ると、空気が乾いているので小便が少くなる。大便は肉食の為めに少くなる、出なくなる、とか日本で聞いたもんだが、中々外国へ来てみたら、そんな事は少しもない。毎日、日本に居る時よりも、大きなババが時間違わず出やがるし、小便などは、ジャアージャーと、よく出るよ。小便とババとをしに、西洋へ来たのかしらんと思う位だ。
 Pension Erichsen 下宿の一週間分のツケを入れて置く。一マルクが一銭五厘だから、安いもんだ。これで食事付きだよ。二百九十六マルクだから、計算したらすぐわかる。

 十一月二十日
 ドイツから巴里へ帰ると、何もかもが華やかで、太陽が明るくて、又春が来た様な気がする。この二三日は又特にぬくい。ドイツへ行く前よりも、帰ってからの方が、大変巴里で落ちつける様になった。もう何もせずにでも一日ゴタゴタと、丁度八幡筋の二階で住んでいる如く、ぼんやりと暮す事が出来る様になった。そして夜は写真の現像などしたり、焼付けたりして時間を消している。此の写真のレンズは、小さいが頗るいいレンズだよ。此の写真を撮った日などは、それは暗い日だったが、十分の一のシャッターで、こんなによくとれているんだよ。
 ドイツでは帰りぎわになってから写真機を手に入れたので、あまり沢山ウツせなかった。巴里でうつしたらボツボツと送るよ。今日はとも角今迄のを封入して送る。
 きのうは、サロンドートンヌを見たよ、中村と一ショに。あまりくだらない絵をどっさり見たので、絵そのものにあいそがつきて、絵かきがやめたくなったよ。三十分程で逃げ出した。
 当分のうち巴里に居る。もう巴里を南へ出発すれば、再び巴里へは帰らないつもりだからよく巴里を見て置く。そして買物したりなどする。古道具屋をあさる。
 いよいよ巴里を去る事を思うと、さすがにおしい気がするよ。
 買物万端整うたら、カンヌの方へ行く。正宗得三郎氏が、僕と同宿になった。正宗君の紹介で、カンヌへ行く事になる。

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