とても想像以上だ。デパートメントストアなどへ行くと、そのきものの安さに驚く。
美川君は、日本(大丸)へ帰朝してからはフランスの洋服を輸入するそうだ。これから、だから洋服は美川君にたのめばよい。今、美川君は裁縫の学校へ通うている。
泰ちゃんはどうしている、僕のことを忘れてへんやろか、たっしゃか。
この手紙をお母さんにも見せてくれ。津田、石濱などへもよろしく云うといてくれ、ハガキは出したけれども。
今日から語学の先生のうちへ通う事にした。又、ABCからならう。日本とは大分発音が違う。やはり本物で無いと、出無い音があるね。そして、すぐ覚えられるのも妙だ。そして、すぐそれを外で応用が出来るから、何んというても進み方が早いね。この間から大変寒かったが、又大変ぬくなって来た。
この公園は僕の家の近くだ、奈良公園を市中へ作ったようだ。
[#家の近くの公園の挿絵(fig3555_03.png)入る]
もうねむくなった、又便りをする。
十月二十日
日本を出てからまだ二ヶ月余りにしかならないのに、もう二三年も経った様に思う。何もかもの生活が変った処を通って来たせいでもあろう。日本で二ヶ月と云えば節季を二度したらしまいやさかいな。あの、お米やのおやじの顔を二度見る事は、またたく間なんだがね。
西洋は雨が降らん。日本を出てからまだ雨らしいものに出合した事が無い。ナル程傘と云うものはいらん、毎日いい天気がつづく。世界に雨と云うもの、日本だけ降るのかと思う。それに風が無い、これは結構だ。日本なら三十日も雨が降らずに風でも吹いたら、それこそ何もかもまっ白ですぐ火事がイタリするが、フランスは実に平気なもんだ。道がコンクリートか石畳で、その上を靴の裏と自動車のタイヤーでこするので、実にピカピカ光っている。埃はたたぬ、だからカドで皆昼飯をたべたり、カフェーをのんだりしてぽかんとしている。
近々のうちに一度ドイツ迄出かけるかもしれない。寒いそうだから、ぬくい用意をして行く。ドイツは、特にものが安いので、写真機のよいのと、洋服とを買うつもりだ。
汽車で青森あたりへ行く位よりも、少し近い事と思う。二十時間程かと思う。汽車は外国の汽車は、よりよいと思っていたら、却々そうでない。一等に乗って乗心地は日本の汽車の方が、ずっと広くて清潔である。早い事は日本の汽車の倍早い。
ドイツ行きを二週間程して、それから一度帰って、十一月になってから、マルセーユの近くのニースと云う海岸のぬくい処へ行って絵をかく。そして、その間にイタリーを一寸訪問し、出来たらスペインも一寸覗いて、それからもう日本へ帰る事にし度い。英国の郵船会社宛でケビンの注文をした。まだ返事が来ないが、近々に判る事と思う。三月頃の船を注文したから、五月頃には日本へ帰れる事と思う。とてももう外国には永く居る気はしないから、見るものだけ見たら帰る、やはり日本がいいぜ。ナルベクスキナモノを買って帰るよ。
カフェーのイスに、夜腰を下していたら、エカキのナレのハテの様な、面も人のよさそうな青年が来て、ハサミで肖像を切りぬいてやろうと云うて、寄って来たので、可哀そうだったからやらせてやった。林と俺が似ても似つかぬ肖像を頂戴して帰ったのだ。二フラン程くれてやったら、メルシムッシューと云って握手をしたよ。
どうだ、この顔は、恐れ入るね、大変な紳士だね。
[#切り絵の肖像の挿絵(fig3555_04.png)入る]
十一月三日
今、風呂を宿の下女に云いつけて、たてさせて、久しぶりでのんびりとした処だ。丁度バス(風呂)は、俺の部屋の隣りにあるので、皆は洋服のままやって来て、風呂から上ると、すぐ靴をつけねばならぬが、俺はシャツ一枚で、ドアをあけて隣りへとび込める様に出来ているので、バスだけは、至極便利を感じる。部屋はスチームで、ずい分温くいから、風呂へ入っても、あとはシャツ一枚でベッドへころがっていれば、いい心もちにウトウトとなってしまう。まるでベルリン迄湯治にでも来ているかの様な心地さえする。西洋の家は冬向きは実に暖かくていい。これなら、いくら北欧の寒国でも余りつらい事はなさそうだ。外出するのは少し寒いが、大抵自動車かホロ馬車だから楽なもんだ。もうベルリンの町も、まるで京都か大阪位に住み馴れて来た。もうパリもよく勝手がわかったし、ベルリンも京都よりも詳しくなってしまった。
いくら、然し、ベルリンでもマルクが下っていて、ものが安く買えても、自動車に、ただの様な金でのれても、ほしいものが買えても、食い度いものが食えても、ぜいたくのありたけが出来ても、それが一向に、有がたくも感じない。実にハリ合いのない楽しみだ。自分一人でどんな事が出来たって、それは、まことにくだらない、馬鹿気たもんだよ。
十一月九日
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