これは毎年|定《きま》って父の感心するレディメードなのだ。元旦は相変りませずということがいいそうだから、多分父も相変らず一度いったことを毎年継続しているのかも知れない。
腹の中が雑煮《ぞうに》で満たされた時分、障子の細目が明るくなって、電燈が消えるのだ。私は洋服をきせてもらって、紅白のまんじゅうをもらいに、学校へ行く。二十四孝の描かれた屏風《びょうぶ》、松竹梅、赤い毛氈《もうせん》、親類の改まった顔等、皆正月を正月らしくする画因であった。
この現代でも、まだこれ以上複雑な正月を続けている家もあることと思う。さて私の今の生活では一つの神棚もない。面倒くさくはないが何の情景もない。屋外は常の如く松林である。昔の祝膳《いわいぜん》だけはそれでも並べて見るが、畳敷の洋館へ出た朱塗りの膳は、警察の小使部屋《こづかいべや》の正月を思わせる。屏風も立てず、松竹梅もない。勿論《もちろん》廻礼もしない。用事がないから朝も十時まで寝込んでいる。甚だ簡単だ。それだけ近ごろの新春は軽便に来て軽便に去って行く。行ったかと思う間もなくまた訪れる。どうも年々にスピードを増すようだ。
大久保作次郎君の印象
十幾年前、私の母が在世の頃、大久保君がよく遊びに来ました。あとで母は「どうや大久保はんはいつもすっきりとして、まるでお殿様やなァ」といっていつも感嘆しました。ついでに「お前もちと見習いなはれ」と申しました。母でさえ感服するばかりの温厚なる色男だったのです。
月日が経った上に、西洋の寂莫と芸術で苦労したものか、最近はその顔に不思議な妖味を現して来ました。ことに目の位置がだんだん上へ上へとせり上がってしまって、目の下何寸といって鯛なら値うちものとなりつつあります。
君の性格は母のいう如く殿様であり君子です。君子は危きに近よらずとか申しますが、危きに内心ひそかに近よりたがる君子で、危いところには何があるかもよく御存じの君子のような気もします。とにかくものわかりのよい、親切丁寧、女性に対してものやさしきいい君子かも知れません。
[#地から1字上げ](「美術新論」昭和五年四月)
大切な雰囲気
巴里《パリ》の街頭で焼いも屋をしていたというボアイエーの絵を、近頃ある私の知人の許《もと》に十幾枚秘蔵されているのを見る事が出来た。それは童心的で、そして技巧がないようではあるがそれが
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