いた。これではいけないと思ったが、どうする途もなかった。私の途は廊下の往復に限られていた。私の人生はまた雨模様となってしまった。
寺からの涙金やBやMの世話であるY山中の貧乏寺の老舗を安く買い取った私は、やっと私自身をそこへ安置してみた。村の人は親切だった。しかる後、和尚さんも一人身では不自由だろうというので、ある適当な女性が世話された。彼女も半球であり私も半球であったから、これは妙案かも知れなかった。
金色の眼が三つ、手が六本、全身に群青を塗られた真言宗のグロテスクな巨像の前で、仏前結婚が村人たちとともに飲み明かされた。
私は毎日版木へ墨を塗ってお札を摺る。かつてはまるめて捨てたであろうところのそのお守を製造する。年頭のお鏡帳[#「鏡帳」は底本では「鏡張」]を整理する。葬式と朝夕の勤行である。S嶽登山の季節になると、行者が五、六人ずつ時に立ち寄って行くので、おろうそく代が上がる。
月はY連山から現れる。押入れの中でさえこうろぎが鳴く。私は妻と二人でおろうそくの売上げを勘定する。いとも静かでつつましやかな山中だ。
9
ある日B家からM老人キトクの電報が来た。私は直ちにその日の終列車に乗り込んだ。この汽車がH駅を通ると間もなく、私が以前R子と最後に憩うたところの森を通るのである。私はいつもここを過ぎる時、念仏を唱えて目をつぶっているのであった。
病院の一室だ。私はM老人の枕もとへ坐した時、老人はゲラゲラと笑い出したので、危篤というてもかなり元気だなと思うと今度は急に泣き出した。するとまた老人は紙幣を一〇〇枚持って来いと命じた。彼が常にする日課であったように、毎日の売上げの紙幣にこてをあてるというの[#「の」は底本では「ふう」]であった。妻君は半紙と冷たいこてを渡すと、こてが冷たいから皺が延びないといってまた怒り出した。こてを振りまわされては危険だから、皆がよってもぎ取ってしまった。親類のFさんが低い声で説明するのだ。「この中風にはよい注射があるのやそうですけれども、こう衰弱してはりましてはそれもあかんそうです。何しろその注射をしますと四〇度位の熱で、その熱で中風の黴菌を焼き殺そうというのやそうですさかい。」[#底本では続く改行はなし]
老人はまたゲラゲラと笑い出した。
[#地から1字上げ](「週間朝日」昭和六年一月)
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