私の下宿から遠くない四條通りを散歩して、思い切って横町の細い小路が大腸の如くうねっている中を行ってみた。この散歩はとうとうその腸内の一角で炎症を起こさせてしまった。私は寺の鏡帳[#「鏡帳」は底本では「鏡張り」]も講中の掛金の一部も学資も、何もかもをこの腸内へ押し込むことで夢中になってしまった。とうとう私は罪のソーセージを造り上げてしまった。女も自ら借財の山を築いて、その心情を私に示してくれた。さてまた私は毒薬と、ピストンへの誘惑を感じて来た。
でも私は知らぬ顔で、学校の暇な時には院主様の車のあとにしたがって、檀中や何々講の総代の家を訪れた。院主は常に経堂再建、ケーブルの敷設計画、年頭年始何やかやと多忙であったから。
ある総代の奥座敷へ通ると、生まれてまだ乗ってみたこともない、高さ一尺もあろうかと思える座蒲団が輝かしく床の間の松竹梅の前に二つ並べられ、いつも私を叱るM老人に似たつやつやと湯上がりの主人の禿頭が、平たく低頭するのだからいい気持だ。そのついでには、これはまた新法主様と尊ばれたりもすると、私自身の責任の重さを感じると同時に、私は四條新地の暗いソーセージを思い出してぞっとした。
だがしかし、それらの帰り途のある街角へくると、院主様の車はいつもきまった横町へ隠れてしまう。その隠れぎわに院主は、私に明朝までB家で待っておれと伝える。院主だっていいソーセージを作っているのだからと思うと、私の心配も少々明るさを増すのであった。
8
ある日院主様はB家を訪れて、折角私があれだけ信用してかわいがってやっているのに、こうこうの所業です。これでは困るから当分引き取らせてほしいということだ。まず放逐だけは許された私は、学校生活も院代の役目も抹殺されて、内勤専門の御座敷へまわされた。「ようこその御参詣で、今日はあつらえ向きの松茸日和で結構でんな。とうちゃんもぼんぼんも成人しやはりまして、ほんまにうっかりするとお見それいたします。当山もおいおいとはつこうなりまして何よりで、もうこれでケーブルがかかりますと申し分御座りまへん。へえ御酒はめし上がりますか」といったことを幾回も一日に繰り返して、精進料理を信者の前へ運び廊下をどたばた走らなければならないのだった。
そのうち子供と思っていた者達が院代となり、力ある弟子が新法主となるに及んでも、私は廊下を走って
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