性を示している。私はその本堂の隙間《すきま》から覗《のぞ》いて暗い中から顔を撫《なで》る処の冷気を吸いながら、暫《しばら》くこの世を忘れる事が出来るのだが、その本尊の顔を見るとこの世が少々忘れ兼ねるのである。眉《まゆ》が長く、目尻《めじり》が長く、眼が素晴らしく大きく、瞳《ひとみ》が眼瞼《まぶた》の上まではみ出している処は、近頃の女給といっては失礼だが、何か共通せる一点を私はいつも感じて眺めているのである。
 この本尊である薬師如来《やくしにょらい》は、そもそも光明《こうみょう》皇后眼病|平癒《へいゆ》祈願のためにと、ここの尼僧は説明してくれたと記憶するが、それで特に眼が大きく鋭く作られてあるのかと思う。
 そしてここの絵馬にはめ[#「め」に傍点]の字の記されたものが多く、午《うま》の歳《とし》の男、め、め、め、と幾つも記されてある。
 そして他に錐《きり》の幾束かが絵馬と共に奉納されてある。
 私は絵もかかずにぶらぶらとこの本尊を眺め、め[#「め」に傍点]の字に村人のトラホームを考えながらつくつくぼうし[#「つくつくぼうし」に傍点]の声を聞き、冷たい本堂の冷気を吸いにしばしばここまで足を運んだものだった。そして、その附近の田圃《たんぼ》には、枝豆が夕日を浴びているのだった。

   裏町のソーセージ

         1

 朝起きるとすぐ柱か何かで頭をうつとか、日曜の朝のピクニックに汽車に乗りおくれるとかすると、その日一日は乗物の都合が悪かったり、足を踏まれたりろくなことは起こらない。万《よろず》直しという名の料理屋でめしでも食べたら多少は持ち直しはしないかと思ってみることもある。
 私の誕生日というものが、またはなはだ不愉快なものだった。もしこれが一九三〇年の現代の出来だったら、当然省略され得る誕生日だったのだ。何しろ私の知らない私の父がひそかに女中か何かを刺激したことから起こった分裂作業だったのである。起きたくもないのに蹴り起こされて目を醒ますと邪魔だから寝ておれと叱られるが如く、やっとのことで誕生してみると皆がもてあまして憂鬱な顔をしているのだ。嫌な家庭だった。私はこんな不愉快な日が自分を待っているとは思わなかった。といって一生に二度の誕生日を持つことは出来ないのだから、むしろ自ら爆発してやろうかと思ったかも知れないが、一旦この世へ[#「一旦この世へ」は
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