ない。坂道は丁度|張物板《はりものいた》を西日に向って立てかけてあるのと同じ角度において太陽に向っているのである。その上それが初秋の西日の透徹なる光輝ででもあれば背中は針で刺されるようだ。も一つ同じ角度において油阪《あぶらざか》というのがある。これは名からして煮えつまるような油汗が噴き出している感じだ。だから私は奈良では常に太陽が東にある時にのみ絵を描きに出た。午後になると、樹蔭で鹿の群と共にぼんやりしていた。
だが土用を過ぎると急に天地の色から一つ何物かが引去られ、寂寞《せきばく》と空白が漲《みなぎ》り初める。私はいつもその不思議な変化を味《あじわ》って眺める。それは奈良に限った事ではなく海の色にも月の色にも、この天地のあらゆる場所から何かが引去られて行く。奈良の情趣では私はこの秋の立つ頃を愛する。まだ何しろ暑いのでカフェー組合の運動会も在郷軍人の酔っぱらえる懇親会もなければ何にもやって来ない。ただ時に馬酔木《あせび》の影に恋愛男女がうごめいていたりするだけである。
だが秋の風は時に冷たく油汗を撫《な》でる。全く立秋を過ぎるとはっきりと目にこそ見えないが、雲の様子が狂い出し、空気は日々清透の度を加え、颱風《たいふう》が動き出す。春日の森にひぐらし[#「ひぐらし」に傍点]とつくつくぼうし[#「つくつくぼうし」に傍点]が私の汗をなお更《さら》誘惑する。男鹿《おじか》はそろそろ昂奮《こうふん》して走るべく身がまえをする。そして漸《ようや》く奈良の杉と雑木《ぞうき》の濃緑《こみどり》の一色で塗りつめられたる単調の下に、銀色のすすきが日に日に高く高畑《たかばたけ》の社家町の跡を埋めて行く。
奈良で画家が集る写生地は主としてこの高畑である。私は時に高畑の東にある新薬師寺《しんやくしじ》まで散歩した。その途中で数人の知友に出遇《であ》ったりもした。あるいは夕日の暑さに溶《と》ろけた油絵具の糟《かす》が、道|端《ばた》の石垣に塗りつけられてあったりする。それを見ると暑い画家の怨霊《おんりょう》がすすきの中から立ち昇《のぼ》ってくる気がしていけない。
新薬師寺の物さびたる境内は私の最も好きな場所であった。ひぐらしと蝉の鳴物はかえってあらゆる音を征服して非常な静かさを現す。その中に古い本堂が甚だ簡略に建っている。その本尊の顔は奇《く》しくも暢《の》びやかなうちに鋭い近代女
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