能がある。あるいは猿股の紐通し機械を売る婆さんは猿股へ紐を通しては引き出し、また通しては引き出している。私は時に猿股の紐がぬけた時、あれを買っとけばよかったと思うことがある。さてその前へ立った時、どうも買う勇気は出ない。あるいは暗い片隅でさくらが役にとられた顔つきで珍しくもない万年ペンを感嘆して眺めている。その姿を見ると私はそこに夜店そのものの憐れにも親しむべき心を発見する。その他、悪資本家退治の熱弁のお隣で木星の観測だといって遠眼鏡を覗いている。それらの浮世雑景の中をまたその点景の一つとなってうろついていることが私自身の浮世でもある。
[#地から1字上げ](「大阪朝日新聞」昭和五年七月)
立秋奈良風景
奈良、大和路《やまとじ》風景は私にとっては古い馴染《なじみ》である。あたかも私の庭の感じさえする。さてその風情《ふぜい》の深さも、他に類がない。何しろ歴史的感情と仏像と、古寺と天平と中将姫と、八重桜と紅葉《もみじ》の錦《にしき》と、はりぼての鹿とお土産《みやげ》と、法隆寺の壁画、室生寺《むろうじ》、郡山《こおりやま》の城と金魚、三輪明神《みわみょうじん》、恋飛脚大和往来《こいびきゃくやまとおうらい》、長谷寺《はせでら》の牡丹《ぼたん》ときのめでんがく及びだるま、思っただけでも数限りもなくそれらの情景は満ちている。
私が美校にいた時分など、夏、冬、春の休みには必ず関西へ帰った。その誘因は大和の春、奈良の秋の思出に他ならなかったという位のものだ。全く、関東の何処《どこ》にもない情緒と温味のある自然であり、春の暢《のど》やかさと初秋の美しき閑寂さは東京の下谷《したや》、根津《ねづ》裏で下宿するものにとっては、誘惑されるのも無理でない事なのだ。近頃、妻が何か不愉快|極《きわ》まる美文ようのものを声高く朗読するので、何かと思って聞いていると、それは私が昔、下宿屋の二階で書きつけた大和路礼讃の頗《すこぶ》る悪寒《おかん》を伴う日記の一節だった。私は直ちに発禁を命じた。
或《ある》夏から秋へかけて、奈良で写生がてら暮して見た事がある。そして奈良位暑い印象を与える処はないと思った。何しろ川がなく、池と水|溜《たま》りと井戸が奈良唯一の水辺風景なのだから。
殊に猿沢池《さるさわのいけ》からかんかん照りの三条通りを春日《かすが》へ登って行く午後三時の暑さと来ては類が
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