軍艦が波を走る光景、U何号がテレスコープを波に沈めんとする刹那《せつな》、その発射、黒い煙幕のグロテスク、巡洋艦のスピード、殊《こと》に戦闘艦においては、近代の陸奥《むつ》の如く、そのマストが奇怪なる形に積まれ、煙突は斜めに捻《ね》じられ、平坦《へいたん》にして長き胴体が波を破って進む形、それらの集合せる艦隊のレヴュー風の行進、大観艦式の壮大なる風景、それらは全日本の若き者どもを狂喜せしめずにはおかないはずである。
 絵を描かぬ美術家、趣味から生れた建築やいくさぶね、切れない日本刀、不感症の女等は邪魔にばかりなる存在である。そして画家は、自然の草木、人体、機械、何が何んであろうとも、美しき存在は悉く描いて見たいという本能を持っている。現代の絵画のあるものは機械をモチーフとするに至ったことは甚だ当然であり、なおもっと機械が芸術の様式を左右することになるであろう。

   街頭漫筆

 私はあらゆる交通機関が持つ形の上の美しさを常に愛している。近代の機関車の複雑とその滑かな動きに私はいつも見惚《みと》れている。その他電車、自動車、飛行機、軍艦等、悉《ことごと》く人間が必要からのみ造り上げたところのあくまでも合理的なむだのない形の固まりを、人体の構造と同じく美しいものと思う。
 さてわれわれの街頭風景を飾るべき主役は、即ちこれらの交通機関であり、なかんずく自動車とバスであろう。自動車は幸いにも世界共通の形のものがそのまま走っているので美しいが車体だけを安く仕上げたところのバスの形はいと情ない姿である。長さの甚だ足りない、不安定な、尻切れとんぼの、貧乏臭い箱が走って行くところは、『箱根霊験記《はこねれいげんき》』の主人公とその一族の自家用車とも考えられる。私はいつもこのバスに乗りつつ、遠くパリの街を考え、そのオムニブスの美しかったことを羨《うらや》んでいる。しかし私は東京を走る長い形のバスを少々だけ愛してもいい。近代阪神国道を走る最大の銀色バスも悪くない。

 文明都市の交通の惨禍という文字を私は度々読まされている。また日々の散歩で自動車がセンターポールへ接吻《せっぷん》したまま蜂《はち》の死骸《しがい》となっているのを見る。あるいは若い娘が急激に倒されてその頭がアスファルトへ当ってぽん[#「ぽん」に傍点]という甚だ空虚な音とともに彼女のまだ封を切らない長篇の一巻は、そのま
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