はまたその姿のみを描いた。だが、われわれの周囲が都会であり、近代であり、それが極度に発達し、機械がわれわれの生活を包んでしまえば、われわれは山川草木を見る以上に、毎日機械を眺め、それに包まれてしまう。すると、われわれは山川草木を愛していたとその同じ心でボイラーを愛しエンジンを磨く。昔は塩原多助《しおばらたすけ》が馬のために泣いたが、今はキートンが機関車と別れを惜《おし》む。紳士は十六ミリ映写機の滑《なめ》らかなる廻転を賞し、その運動の美しさに惚込《ほれこ》み、自動車の車体の色彩に興味を覚え、エンジンの分解に一日を費《ついや》し、その運動に見惚《みと》れたりする。超特急「燕《つばめ》」の大機関車が不思議な形の水槽《すいそう》を従えつつその動輪を巨大なるピストンによって廻転しつつ動いて行く形こそは、どれだけ近代人を悦《よろこ》ばせ子供の心を感動させているか知れない。
だが、自然が作ったという山川草木、昆虫、人体でさえも、それを解体し、分解し、顕微鏡で覗《のぞ》けば、それは驚嘆すべき極端に精巧を極《きわ》めた機械であるということが出来る。人間の構造、その精巧なる機械、それはツェッペリンよりも、何よりも完全な機械でもある。そして自分はこの複雑な機械をば、生れるとすぐ自由に運転することが出来る。
微細にして精巧な部分品が結合して路傍の雑草を形造り、山川草木を形造り、人間と昆虫とライオンと猿と虎を造る。そして虎の雄姿と、草の花の愛情をも現す。
機械こそは近代の人間がその頭脳の働きを悉《ことごと》くここに集めて、人間の要求を極端にまで結晶せしめた一つの大建築でもある。それは生温《なまぬる》い趣味とか、遊戯によって造り出された玩具《おもちゃ》ではない。それは人体が造られ、草木が生れるのと同じ必要から、機械はまた組立てられて行く。ここに軍艦がある。まず、昔|天平仏《てんぴょうぶつ》が天平時代の必要から製造され、法隆寺が完全な姿において現出した理由と同じ理由から、現代のわれわれの生活からは軍艦が産出される。軍艦こそは実に近代機械文明の最大なる結晶である。そして、それは大きくいえば一個人、一国民の産物ではない。世界の文明国の人類が、一つ一つ、甚だしい必要に迫られ頭脳から絞り出された部分品が山積し、改められ、手古摺《てこず》らされ、構成されつつ延び上ったところの大彫刻である。だから、
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