十歳ではなかった。当時多分十九か二十歳位だったと記憶する。年齢だけ聞くと、さも好意が持てそうに思われるかも知れないが、本当は持てないのだ。
それが当分の間、手伝いのために田舎から私の家に来ていたことがあった。私はそのころ中学の五年生位だったと思う。現代のモダンボーイから見たらむしろ馬鹿に近かったかも知れない位遅れたぼんぼんに過ぎなかった。
そんなわけで、私は彼女を台所の諸道具類と別段の区別もつけてもいなかった。火鉢と天窓と水道と雑巾と彼女であった。
ところがいつからともなく彼女は、私の両親や人のいない時に限って私の前へいやに立って見せるようになって来た。初めのうちは何のことかわからなかったが、あまりたびたび立って多少の[#「多少の」は底本にはなし]笑いをさえ含むので、何となく不気味でうるさくなって来た。そしてだんだんうすぼんやりとそのわけが判って来た。わけが判って来ると堪らなく嫌になって来た。
とうとう私は我慢が出来ないので、母に訴えた。どうもAがつきまとって堪らない。裏へ行くと裏へ来る、表へ行けば表へ来る、二階へ上がれば二階へ現れる、そしてにやにやと笑って困るから何とか一つ叱ってくれと注文した。母も半分は笑いながらもちょっと驚いた風で、早速世話をしたところのAの姉を呼んで話した。
まあ、あの子が、そんな阿呆なことをしますのんか、まあそうでっか、一ぺん叱ってやりますといった。
それからAはあまり私の前へ立たなくなったけれども、ときどき私を見るその眼が以前よりも物凄くなってしまった。
彼女の実家というのは大阪近在のある貧乏寺だった。するとある時報恩講が勤まるからといって五、六日暇をとって帰って行った。その不在中こそせいせいしたことを覚えている。
五、六日後、彼女は再び私の家庭へ現れた。ところがAは不思議にも、じろじろ私を以前の如く眺めなくなってしまった。その代り彼女は何だか遠くの空気ばかり眺め出した。
ある日、車屋が彼女への手紙を持って来た。以来たびたび持って来るようになった。そのたびに彼女はふらふらと暴風の日の煙の如く出て行くのであった。
やがてある[#「ある」は底本では「ある日」]一日、再び手紙によって誘い出された彼女は、とうとう夜になっても帰らず翌朝になっても帰らず、ようやくその夕暮時、ふぬけた煙となって帰って来た。この煙は一日一晩、どこを迷うて何をして来たかということは、どんな素人にもほぼ見当のつくことであった。
彼女は一晩中寝ずに心配した姉と姉の亭主とそのことで驚いて田舎から駆けつけた僧侶である彼女の兄とに責められて、とうとうある男との関係を白状してしまった。ある男はやはり寺の坊主だった。しかも最近のあいびきの夜は、満腹して寝そべった坊主のいうのに、実は俺には許嫁があるのでそれがなかなかの別嬪で、とてもお前のようなもの足元へも寄れん。お前の手を見てみい、亀の甲みたいやないか、そんなものを嫁にもらえるかい、といったそうだ。
彼女は自分の手を見てなるほどと思ったかも知れない。それだけ余計に腹が立つわけだ。
彼女は夢中でそのままその安宿を飛び出したが実家へはもちろん私の家へも帰ることが出来なかった。同時に彼女は彼女の体内にひそんでいるかも知れないところの坊主の血を感じたりするともう帰るべき家はこの世の中では機関車の下か、松の枝より他には見当たらなかった。
彼女は本当に煙の如く市中をうつらうつらと歩き廻り、それから鉄道線路に沿うてあるいてみたが結局魂だけは線路へ一時預けとして彼女の抜殻だけが私の家へ帰って来たのであった。
そこで姉や兄はその抜殻を叱りつけて、田舎の寺へ連れて帰ってしまった。連れて帰ったものの、よほど注意しなければこの抜殻はいつ魂のもとへ帰ってしまうかも知れない様子なのであった。
四、五日経ったある日、いつもの如く本堂で兄は夕べの勤行をしていた時、いつもの如く彼女もその後ろに坐っていた。灯明が木魚や欄間の天人を照らしていた。しばらくするうちに何だか兄は後ろの方が変にひっそりとするのを感じたのでお経を読みながら、ふと振返ってみると彼女がいない。いなくなっているのに別段不思議はないわけだが、そのいなくなったあとには不思議な空洞が残されていたのだ。すると心の底に棲む虫が急に騒ぎ始めたのである。
兄は立ち上がって庫裡を覗いたが真暗だった。妻に訊いても知らぬといった。そこで彼女の下駄を調べてみたらそれがなくなっていた。兄はともかく提灯を携げて飛び出し、夢中で街道を走ってみた。
十町程行くと鉄道の踏切がある。
その踏切へ差しかかる四、五間手前のところにセルロイドの櫛が一つ落ちていた。それから黒い血らしいものと砂にまみれた髪の毛の一束[#「一束」は底本では「束」]が乱れていた。
兄はこの静物を見ると同時に坐ってしまった。腰が抜けるということはほんまにあることだす[#「だす」は底本では「だ」]と彼は後に話していた。
これではいけないと思って無理から立ち上がり慄えながら線路を探し廻ったが、不思議にも肝腎の死体がなかった。
ちょうどそこへ村人が通り合わせて、彼はAを今駅の構内へ運んだから、早く行ってやれ、まだ虫の息はあるようだからと知らせてくれた。
H駅のうす暗い八角形のランプはいつも蜘蛛の巣で取り巻かれている。その下のうす暗い片隅の蓆の上に彼女は寝かされていた、兄が行った時、眼を開いて何かいうのである。おそるおそる近寄ってみると彼女は片手両足を失い至極簡単なる胴体となってしまっていた。
彼女の愛人から亀の甲だと呼ばれた彼女の大切なその手はどこへ落として来たものか影も形もなくなっていた。
集まって来た駅の人達も村人も、もうあかんなといっているし、警察の人も警察医も、もうあかんといった。兄ももうあかんと考えた。
兄は電報で、彼女の姉とその亭主を呼んだので彼らは終列車で到着した。姉は蓆の上で無残なる胴体と化けている妹を見て泣いた。しかしその胴体はしきりに水を要求している。そしてその色魔坊主を取り殺すと叫んでいる[#「叫んでいる」は底本では「呼んでいる」]。
しかしどうせもうあかんものなら病院へ入れることは無駄なことでもあるし、費用という点も至極考えねばならぬことだしするのでとりあえずまあ[#「まあ」は底本にはなし]家へ運んで置いたらよろしいやろ、どうせあすの朝までだすさかいということに話がきまった。
彼女は最後の一夜を玄関[#「玄関」は底本では「玄間」]の庭の片隅へ蓆を敷いて寝かされ呻き通した。一族は何が何であろうとも、まず一杯飲まねば助からぬということになり座敷では相談がてらの酒宴が開かれた。皆がもう朝までのことだといってその手筈をきめたにかかわらず、死骸となり切れないのが彼女自身である。蓆の上でだんだん意識がはっきりとしてくるのであった。
翌朝、彼女はお粥が食べたいといい出した。ある男はひそかにああそれがいかん、変が来る前にはたべたがるものだすと鑑定した。
しかし彼女はお粥が大変うまかったといって喜んだだけで、一向変調な顔をしないのみか多少以前より喋り出して来たものだ。その喋るというのがまたおかしいとまだ未練を残す者もあった。
何かの故障で芝居の幕がしまり損ねた如く、多少間が抜けたので医者を呼んだところ、医者もこんなはずはないのだが、おかしいといった。しかしまず九分九厘まではといって帰ってしまった。
その九分九厘という胴体がまた、昼めしがたべたいといい出し、晩めしも食うといい出した。
また医者に相談したが医者といえども幕の故障をいかんともすることが出来なかった。
それでは病院へでも入れますかということになって、とうとう一族の間には相談のやり直しが始まりその翌朝、大阪まで急いで行くことになった。完全に間が抜けてしまった切りである。
病院で彼女は、改めて片手と両足の骨を正気のまま鋸で切断された。医者が痛いかと訊いたらちょっと痛いと答えたそうだ。しかし医者はこれで発熱すると多分もういけないでしょうといった。もうそろそろ熱が出るのかと思っていると熱が出ないのだ。
翌朝になって彼女はまたお粥をたべた。医者はまったくこれは奇蹟です、こんな経過はめったにないことだといって感心して、安心なさいもう大丈夫ですといった。これでとうとう幕は完全にしまらぬことときまったが、それにつけても一族の胸へつかえることはこれからさきの入院料や手術代それからさきの幕のない女一代の長さであった。
次の間で一族はなぜこんな不思議なことがあるのやろかといって、まったくこの結構な[#「結構な」は底本にはなし]奇蹟に対して迷惑そうな顔をした。
奇蹟といえばアメリカ映画の活劇や猛闘を見ると奇蹟だらけである、もうあれだけの谷底へ自動車もろとも墜ちたのだから多分助かるまいと思っていると、案外平気な顔で何度でも起き上がって来る主役がある。
七度生まれて何とかするという言語はアメリカではありふれて役に立たないだろう。
私はそのころ流行していた軍歌の一節、死すべき時に死せざればという文句を思い出した。遠足などでただ何となく歌っていたものだが、なるほどあれはこのことかも知れない、と思ったことであった。
やがて彼女は完全な亀の甲となって退院したが以来、はかなきその一生を棒となった片手に環をはめて、それへ糸を通し残された右手をもって糸車を廻しているという。
それから彼女を食べた悪食坊主であるが彼は自殺のあった翌日から行方不明となってしまったそうである。坊主は亀を食べて中毒した。
[#地から1字上げ](「週刊朝日」昭和二年九月)
酒がのめない話
ある初夏の頃だった、私は誘われて戸山ヶ原へ出た。一人の友人はポケットにコップを用意し、も一人はビールを携げていた。五月の陽光は原っぱの隅々から私たちの懐中から、シャツの中まで満ちてしまい、ある温《ぬ》くさがわけのわからぬ悩ましさを感ぜしめ、のどを渇かさしめ、だるく疲らしてくれた。そこでわれわれは何か素晴らしいものが欲しいようなさもしいような感情を抱きつつ草むらの匂いを吸いながら寝ころんで青空を眺めたものだった。
友人はビールをうまそうに飲みはじめた。私は実は一滴の酒も飲めないのだ。アルコールは私の心臓にとっては猫いらずであった。でも私はあらゆる酒の味を他の何物よりも好むのだからまったく私は難儀な境遇にあるといっていい。私はのどを渇かしつつ羨ましくそれらを眺めていたものだから、友人は、まあビールのことだ、一杯位はいいだろうといって私のためにコップを捧げてくれたので、あまりの羨ましさに、ついがぶがぶと飲んでしまったものだ。まったくそんなことは、かつてしたことはなかったが、するとやがて猫いらずは私の頭と顔と血脈とを真赤に染め出し、私の心臓を急行列車のピストンの如く急がせてしまったのであるが、わずか一杯のビールで苦しむのはさも男らしくないようだから、つとめて平静な顔をして雲を眺めていたところ、その急速なピストンが逆にすこぶる緩漫になったと思うと、急に五月の天地が地獄の暗黒と変じて来た。私はこれがわがなつかしき地球の見おさめかと感じた。
友人は私の足を持って私を逆さにぶら下げたり仁丹を口へ押し込んだりした。二、三分の間私は草葉のかげへ横たわってから目が醒めた。まさかビールがこんなことになるとは友人も私も思いがけなかったことだった。その友人の一人はこの間死んだ帝展の遠山五郎君だが、私達が十幾年ぶりでパリで出会った時、彼もまたそのことを記憶していて思い出話をしたことである。そのかなり頑健そうであった彼がすこぶるたよりない私よりさきへ死んで行くとは思えなかった。
私は左様に酒がのめないのだが、しかし、酒がのめたらどれ位この世の幸福が多いことかと思い羨んでいる。もちろん、のめないが故にどれだけの幸いがあるのか、それはよくわからないけれども多分それは細君がうるさがらないことであり、修身学的には結構なことでもあり、他人に迷惑を及ぼさないことでもあろ
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