いにも土蔵と土蔵との間に湿っぽい空地があって、陽気不足の情けない雑草が茂り、石ころと瓦《かわら》のかけらが、ごろごろと積まれてあった。
秋になると、そこには蟋蟀が鳴くのであった。私は学校から帰ると私の友達と共にこの空地へ這入《はい》ってじめじめした石ころや瓦を持ち上げて、その下から飛出す蟋蟀を捉《とら》えるのが何よりの楽しみだった。
初めは石鹸《せっけん》の空箱へ雑草を入れ、その中へ捉えた蟋蟀をつめ込んだ。私たちは学校から帰るとその箱をそっとあけて見るのだ。すると、萎《しな》びた雑草の中から蟋蟀のつるつるした頭と髭《ひげ》が動いているのを見て、何んともいえず可愛くて堪《たま》らなかった。
私は何んとかして、も少しいい住宅を彼らのために作ってやりたいと思い、私は手頃《てごろ》なボール箱を持ち出して、その中をあたかもビルディングの如く、厚紙で五階に仕切り、沢山の部屋を作り階段をつけ、各部屋への通路には勿論《もちろん》入口を設け、窓を作り、空気の流通もよくしてやった。然《しか》る後、私は大切の蟋蟀を悉《ことごと》くそのビルディングの中へ収容して見た。すると二階で髭を動かしている奴があり、三階の窓から頭を出している奴がおり、五階の入口からお尻《しり》の毛を出している奴がいたりするのであった。
私は彼らを無理矢理に階段を昇《のぼ》らせて見たりして楽しんだ。
夜になると、ビルディングの彼らはそろそろ鳴き出すのであったが、どうも市中で蟋蟀が鳴くのは、多く下水道とか、空家《あきや》の庭とか、土蔵の裏とかに限るようだから、私の座敷は妙に空家臭くなるのであった。父はそれを厭《いや》がって早く逃がしてしまえといった。
父はかなりの虫好きで、秋になると、松虫、鈴虫、といったものを買って来て、上等の籠《かご》へ入れて楽しんでいたが、どうも私の蟋蟀には全く理解がなかった。むしろ不吉なものだと思っているらしかった。
ところで私の作ったビルディングは、どうも虫の生活には不適当だと見えて、日々かなりの死者を出すのであった。
これではならぬと思い、私は考えた末、これを私の前栽《せんざい》へ解放してやろうと思った。前栽には大きな石が積み重ねてあり、その上には稲荷《いなり》様が祀《まつ》ってあった。私はこの石崖《いしがけ》こそは自然のビルディングだと思ったから、私は早速彼らをこの石崖へ撒《ま》き散らしてしまったのであった。二、三十匹は確かにいたはずだ。
その夜、彼らは一斉に、元気に、鳴き出した。
すると、肝腎の鈴虫や、朝すずの声は蹴落《けおと》されてしまった上、前栽は完全に空家の感じを出してしまった。でも私は、内心かなり得意なつもりで寝たものだ。ところへ父が帰って来た。そしてなぜこう一時に蟋蟀が鳴き出したのかといって大そう驚いた。母も察する処、楢重《ならしげ》の所業だとにらんだらしい。多分昼の間に逃がしたんだすやろ[#「多分昼の間に逃がしたんだすやろ」に傍点]といった。私は忽《たちま》ち恐縮を感じたが、もう如何《いか》んともする術《すべ》はなかった。仕方がないので寝たふりをしていると、父は一人で庭へカンテラを持ち出して、石崖の間を狙《ねら》っているのだ。弱った事になって来たと思っていると果して、私はゆり起された。楢重、ちょっと来いお前やろ、さあこの虫を皆|退治《たいじ》てしまえといい渡された。ねむい眼で石崖の穴を覗いて見たが何も見えなかったが、なるほど、合唱隊は随分騒いでいる。
私はそれからおおよそ一週間というもの、毎晩の如く石崖の前へ立たせられた。私は棒を握ってカンテラの火で虫を呼びよせて見た。そして石崖の間に私の愛する彼らのツルツル頭を発見すると同時に、私は棒でたたき潰《つぶ》さねばならなかった。
だが、このビルディングの奥深く這入《はい》り込んだ蟋蟀は容易に出て来てはくれなかった。喧《やか》ましゅうて寝られんやないか[#「ましゅうて寝られんやないか」に傍点]と父が怒る度《た》びに、私は全く、蟋蟀が自殺をしてくれたらいいと思った。結局、石崖を取毀《とりこぼ》たない限りは完全な退治は出来難い事になってしまった。
私は、以来、蟋蟀の声を聴く度びにその時の情なさを思い出す。そしてその頃の堺筋の情景を思い出す。あの家も既に売払ってから十年近くなる。今は何かハイカラな洋館と化けてしまっている。勿論、あの前栽も石崖もなくなったであろう。しかし、あの蟋蟀の子孫は、まだ、裏の下水のあたりで鳴いているにちがいないと思う。
迷惑なる奇蹟
私は常に静物を描くために野菜や果物を眺め、あるいは人間の顔や裸女を観て暮している。それでは野菜や美人の選択はよほど上手かというと、案外うまくないように思う。日本一の美人は誰ですかと聞かれたら早速に返事は出来ないのである。
私達は一番いいというものを探しているのでは決してないので、手当たりしだいの手近なものに美しさを認めている。そして第一その野菜なり美人なりを食べようとは思わない。大概の場合その静物が絵となってしまうころは野菜は萎びてしまい果実は腐りかかっているから、皆そのまま芥溜めへ捨ててしまう。モデルは腐らない代りに、金を受け取るとすぐアトリエから去ってしまう。
裸女や野菜を私達は眺めているが、それを一々細君として見たり、毎日のおかずとはしない。したがって私達はそれらのモティフに対して、非常に自由な選択が許されている。
あまりに自由であるから、かえってまごつくのである。だから私達の前へ十人の美人の写真を並べてどれを細君にしたらよいか、どれと恋愛をしたら間違いがないかを鑑定してくれと注文したら、案外一番妙なものをつかみ出すかも知れない。
AはAとして、BはBとして、CはCとして面白い、これはこれとしてあれはあれとして面白いと思うから結局どれが日本一だかさっぱり判らなくなってしまう。その点、女色を漁る色魔とか、食物を極端に味わうところの悪食家の心にも似ている。
何事によらず素人というものは日本一を要求する。日本一の風景はどこですかと訊く。日本三景何々八景というものを考えてみたりする。美人投票一等当選というものを嫁にほしいといって両親を困らせる息子もある。
世界一の音楽家を定めようとするし、世界一の絵描きさんは誰ですかと訊く人も多い。これでは世の中では、女は常にただ一人だけが看板として要求される筈である。
その結果かも知れないが、ショーウィンドの飾り人形の顔を見ると、皆均一の顔である。そしてその顔は、昔一番有名であってかつ面白味のなかった名妓何々の顔をそのまま拝借してあるようだ。
それでは日本人は皆芸妓何々に似た女と結婚しているかというと、なかなかそうでない。あらゆる変化あるものを同伴している。
しかしながら無理の通せる財産家の極道息子が結婚する時などはしばしばあれでないこれでない、やはり何となくあの妓に似ているという点でようやく承知したりする。要するに、名妓何々のイミタシオンを買ってしまう。
現代ではすでに名妓は廃れてしまいその代り活動女優とか西洋もののフィルムの中にその第一番を求めようとするようだ。
ある素人の美術通などという男の説によると、日本の女の裸体は見ていられない。裸体は西洋人に限るそうだ。なるほど整頓していることは西洋人に限るかも知れないが、整頓しているものが必ずいい味を持っているとは限らない。不整頓な街景が整頓した街よりも絵になることがある。私などは日本婦人の味を西洋人の味よりも深いと思うことさえある。
おかしいことには、その美術通でさえも、丸くて小さい代表的日本婦人とともに仲よく散歩しているのであるからやはり何かひそかに、味は感じているのかも知れない。
ところで人はみな日本一、世界一を考えているのでまず無事なのだ。もし芸術を作らない普通の人が、何に限らず食べたがる普通人が、あらゆる女に対してそれ相当の興味を感じ出したり、手当たり次第に食慾を感じたりしてくれては無数の色魔が現れて危険だ。
まず何とかかとかいいながらも、あり合わせたところのものを自然から恵まれ、身分相応の恋愛をするにいたり、そしてそれが日本一に見えてくる仕掛けになっているらしいところでちょうど安全である。
ところで世には悪食家というものがあって、まず普通人間が食うべからざるものでも食ってみたりして喜ぶ道楽者がある。最近に聞いた話によると、ある人は蝿の頭を集めて食べてみたという。そして[#「そして」は底本では「そしして」]下痢を起こした。まずいろいろと食べてみたがこんなまずいものはなかったということだ。
悪食家というものは、食慾界の色魔ではないかと思う。われわれ画家は美に対しては多少の色魔となっているかも知れない。ちょっと食えないものでも食っている。そして貧乏に苦しみながら一代を好色に費やしてなお足りないという次第となっている。
だがしかし芸術上の食慾は猫を殺したり、蝿の頭を集めたり、女を食べてしまったり、要するに、左様な殺生や、他人を不幸に陥れたりは決してしないつもりである。本当の仏性とはこのことかと自ら考えるくらいあらゆるものを敬い過ぎるようである。悪食家でさえも自分の責任は自分で背負って立って行くものだ。例えば下痢をするとか、あるいは中毒して死んでしまうとか。
すると何といっても好色という悪食家が一番いけないことになる。色魔というものは自分の責任を負わないからいけない。責任を全うする色魔というものがあったとしたら、それは決して色魔ではない。
私の知っているある名誉職という老人にして女中専門という悪食家があったが、食べる方はいいとして食べられるものこそ災難だ。
ある時も[#「時も」は底本では「時」]午後三時ごろだというのに、お茶屋の女中を貸席へこの老人が引張り込もうとしていたそうだ。女中は大阪へ最近出たばかりのものだった。そして決して美しいものではなかったが、悪食家にとってはいいモティフであったに違いない。
彼女は一生懸命道端の電柱へしがみついていたそうだ。あまり強情であるところから、その貸席の仲居が走って来て、なあ[#「なあ」は底本では「なお」]ほかの人ではないのやさかい、いいはることは聞いときなはれ、ためにならんといって、とうとう二階へ押し上げたということだった。
彼女はしかる後、老人から金子三円を頂戴に及び、その中の半分は貯金にしておけよといい渡されたそうだ。
でも一円五〇銭の貯えが出来るということはまだ幸福な方かも知れない。
時には銀行も預かってくれない因果の種を宿してみたりする。
因果の種を生んで幸福を感じた女というものはあまりたくさんはあるまい。でもまだ生む方はいいとして、生み出された因果の種自身にとっては大した迷惑である。
大体、母体の中へ初めて現れてみた時、誰一人として悦んでくれたものがなかったということは実に憐れにも張合いのないことだと思う。それは、仁木弾正が花道の穴から煙とともにせり上がってみた時、見物人が皆居眠っていたというよりも、もっと張合いのないことである。
喜んでくれるどころか、如何にしてこの種を消滅させようかとさえ考えられたりすることがあっては、一人前の魂を持ったものにとっては癪に障ることである。この様子を腹の中で聞いただけでも、まず因果の種はひねくれざるを得ないではないか。
もし、私だったら母体を破って流れ出してやるかも知れない。
私の知っているAという女がある悪食家に食べられた話がある。
私は妙なめぐり合わせで、昔から変なものばかりに好意を持たれたものである。以前私は怪説絹布団という話を書いたことがある。それは六十幾歳で草履の裏のような顔に白粉をべったりと塗った婆さんに大変な好意を示された話である。
私は自分の仕事の性質上、随分悪食家となってはいるけれども、食慾や色慾に対しては決して悪食にまで進んではいないつもりでいる。
だから私は、左様な奇怪な婆さんを好きには決してなれなかったのだ。
ところでこのAという女は六
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