」]呼物であるところの空中美人大飛行というのを演じているところ。高い空中のブランコから離れてかわいい娘が次から次と、張られた網の上へ落下してくる有様は凄く憐れなものだった。私は往生要集の地獄変相図を思い出した。
 最後の一日を高松で暮した。栗林公園も桜の真盛りだった。三味線と酒と、大勢が踊っていた。ある座敷では洋服の男が六、七名、芸妓とともに円陣を作ってやっちょろまかせのよやまかしょというものを踊っていた。T夫人はそれを眺めて、男の方は宴会や宴会や[#「宴会や」は底本では「宴会」]というていつもあんなことをしているのですか、と私に詰問したが、私はさあどうですか、まさか、といってみたが、本当のことは多少わからなかった。T君も何かわけのわからない答弁を製造しているようにみえた。
 翌日再び海を渡り、退屈な山陽線によって神戸へ近づくにしたがって、私は私の神経がかなり暢びてしまっているのに気がついて来た。ほんの四、五日の旅だったが、旅は私の神経の結び目をことごとく解いてしまった。もちろん肩のこりも下がっていた。

   春の彼岸とたこめがね

 私は昔から骨と皮とで出来上っているために、冬の寒さを人一倍苦に病む。それで私は冬中彼岸の来るのを待っている。
 寒さのはて[#「はて」に傍点]は春の彼岸、暑さのはて[#「はて」に傍点]は秋の彼岸だと母は私に教えてくれた。そこで暦を見るに、彼岸は春二月の節《せつ》より十一日目に入《いり》七日の間を彼岸という、昼夜とも長短なく、さむからず、あつからざる故|時正《じしょう》といえり。彼岸仏参し、施しをなし、善根《ぜんこん》をすべしとある。
 彼岸七日の真中を中日《ちゅうにち》という、春季皇霊祭に当る。中日というのは何をする日か私ははっきり知らないが、何んでも死んだ父の話によると、この日は地獄の定休日らしいのである、そしてこの日の落日は、一年中で最も大きくかつ美しいという事である。
 私が子供の時、父は彼岸の中日には必ず私を天王寺《てんのうじ》へつれて行ってくれた。ある年、その帰途父はこの落日を指《さ》して、それ見なはれ、大きかろうがな、じっと見てるとキリキリ舞おうがなといった。なるほど、素晴らしく大きな太陽は紫色にかすんだ大阪市の上でキリキリと舞いながら、国旗のように赤く落ちて行くのであった。私はその時父を天文学者位いえらい人だと考えた。
 この教えはよほど私の頭へ沁《し》み込んだものと見えて、彼岸になると私は落日を今もなお眺めたがるくせ[#「くせ」に傍点]がある。そしてその時の夕日を浴びた父の幻覚をはっきりと見る事が出来る。
 彼岸は仏参し、施しをなしとあるが故に、天王寺の繁盛《はんじょう》はまた格別だ。そのころの天王寺は本当の田舎だった。今の公園など春は一面の菜の花の田圃《たんぼ》だった。私たちは牛車が立てる砂ぼこりを浴びながら王阪をぶらぶらとのぼったものであった。境内へ入るとその雑沓《ざっとう》の中には種々雑多の見世物《みせもの》小屋が客を呼んでいた、のぞき屋は当時の人気もの熊太郎《くまたろう》弥五郎《やごろう》十人殺しの活劇を見せていた、その向うには極めてエロチックな形相をした、ろくろ首[#「ろくろ首」に傍点]が三味線を弾《ひ》いている、それから顔は人間で胴体は牛だと称する奇怪なものや、海女《あま》の手踊、軽業《かるわざ》、こま廻《まわ》し等、それから、竹ごまのうなり声だ、これが頗《すこぶ》る春らしく彼岸らしい心を私に起させた。かくして私は天王寺において頗る沢山有益な春の教育を受けたものである。
 その多くの見世物の中で、特に私の興味を捉《とら》えたものは蛸《たこ》めがねという馬鹿気《ばかげ》た奴だった。これは私が勝手に呼んだ名であって、原名を何んというのか知らないが、とにかく一人の男が泥絵具と金紙で作った張《はり》ぼての蛸を頭から被《かぶ》るのだ、その相棒の男は、大刀を振翳《ふりかざ》しつつ、これも張ぼての金紙づくりの鎧《よろい》を着用に及んで張ぼての馬を腰へぶら下げてヤアヤアといいながら蛸を追い廻すのである。蛸はブリキのかんを敲《たた》きながら走る。今一人の男はきりこ[#「きりこ」に傍点]のレンズの眼鏡を見物人へ貸付けてあるくのである。
 この眼鏡を借りて、蛸退治を覗《のぞ》く時は即ち光は分解して虹となり、無数の蛸は無数の大将に追廻されるのである。蛸と大将と色彩の大洪水である。未来派と活動写真が合同した訳だから面白くて堪まらないのだ。私はこの近代的な興行に共鳴してなかなか動かず父を手古摺《てこず》らせたものである。
 私は、今になお彼岸といえばこの蛸めがねを考える。やはり相変らず彼岸となれば天王寺の境内へ現われているものかどうか、それともあの蛸も大将も死んでしまって息子《むすこ》の代となっていはしないか、あるいは息子はあんな馬鹿な真似《まね》は嫌だといって相続をしなかったろうか、あるいは現代の子供はそんなものを相手にしないので自滅してしまったのではないかとも思う。何にしても忘れられない見世物である。

   春眠雑談

 関東の空には、四季を通じて、殊《こと》に暑い真夏でさえも、何か一脈の冷気のようなものが、何処《どこ》とも知れず流れているように私には思えてならない。ところが一晩汽車にゆられて大阪駅へ降りて見ると、あるいはすでに名古屋あたりで夜が明けて見ると、窓外の風景が何かしら妙に明るく白《しら》ばくれ、その上に妙な温気《うんき》さえも天上地下にたちこめているらしいのを私は感じる、風景に限らず、乗客全体の話声からしてが、妙に白ばくれてくるのを感じるのである。
 近年、私は阪神沿線へ居を移してからというものは、殊《こと》の外《ほか》、地面の色の真白さと、常に降りそそぐ陽光の明るさに驚かされている。それらのことが如何《いか》に健康のためによろしいかということは問題にならないが、その地面の真白さと松の葉の堅き黒さの調子というものは、ちょうど、何か、度外《どはず》れに大きな電燈を室内へ点じた如き調子である。物体はあらゆる調子の階段を失って兵隊のラッパ位いの音階にまで縮められてしまって見えるのである。
 従ってこれら度外《どは》ずれの調子と真白の地面と明るい陽光とに最もよく釣合うところの風景の点景は如何なるものかといえば多少飛上ったもののすべてでなくてはならない。例えば素晴らしく平坦《へいたん》な阪神国道、その上を走るオートバイの爆音、高級車のドライヴ、スポーツマンの白シャツ、海水着のダンダラ染め、シネコダックの撮影、大きな耳掃除の道具を抱《かか》えたゴルフの紳士、登山、競馬、テニス、野球、少女歌劇、家族温泉等であるかも知れない。
 大体において、阪神地方のみに限らず、全関西を通じて気候は関東よりも熱帯的である。従って、あらゆる風景には常にわけのわからない温気が漂うていることを私は感じる。
 この温気というものは、何も暑くて堪らないという暑気のことをいうのではない、その温気のため寒暖計が何度上るというわけのものでもないところの、ただ人間の心を妙にだるくさせるところの、多少とも阿呆《あほ》にするかも知れないところの温気なのである。
 私は、大阪市の真中に生れたがために、この温気を十分に吸いつくし、この温気なしでは生活が淋しくてやり切れないまでに中毒してしまっている。しかし、かなり鼻について困ってもいる。そしてよほど阿呆にされている。時に何かの用件によって上京する時、汽車が箱根のトンネルを東へ抜けてしまうと、それが春であろうと夏であろうにかかわらず、初秋の冷気を心の底に感じて心が引締るのを覚える。勿論その辺から温気そのものの如き大阪弁が姿を消して行くだけでも、大層、心すがすがしい気がするのである。私はこの温気のない世界をいかに羨《うらや》むことか知れない。
 或年の夏の末、私の友人が私を吉祥寺《きちじょうじ》方面へ誘った、そして私の仕事の便宜上、その辺で住めばいいだろうといって地所や家を共に見てあるいたことがあった。
 その時、初秋に近い武蔵野《むさしの》は、すすきが白く空が北国までも見通せるくらいに澄み切っていて、妙にしんかんとして、その有様が来るべき冬のやり切れない物悲しさを想像させたのである。私は私の鼻についた温気の世界に後髪を引かれ、とうとうそのまま家探しをあきらめて帰ってしまったことさえあった。
 春眠暁を覚えずとか何んとかいう言葉があるが、全く春の朝寝のぬくぬくとした寝床の温気は、実はこうしていられないのだと思いながらも這《は》い出すことが容易でないのと同じように、大阪地方の温気に馴《な》れた純粋の大阪人にとっては、何かの必要上、この土地を抜け出すことには随分未練が伴うようである。

 大体温気は、悪くいえばものを腐らせ、退屈させ、あくびさせ、間のびさせ、物事をはっきりと考えることを邪魔|臭《くさ》がらせる傾きがあるものである。
 大阪では、まあその辺のところで何分よろしく頼んますという風の言葉によって、かなり重大な事件が進められて行く様子がある。従って頗《すこぶ》るあてにならない人物をついでながらに養成してしまうことが多い。よたな人物[#「よたな人物」に傍点]などいうものは関西の特産であるかも知れない。
 しかしながら、このぬるま湯の温気が常に悪くばかり役立っているとは思えない。温気なればこそ育つべきものがあるだろうと思う。例えば関東の音曲や芝居と、関西の音曲、芝居とにおいてその温気の非常な有無を感じている。
 即ち私は、浄るりと、大阪落語と鴈治郎《がんじろう》の芝居と雨の如くボツンボツンと鳴る地歌《じうた》の三味線等において、まずよくもあれだけ温気が役に立ったものだと思って感心している。
 しかしそれは万事が過去である。現代の温気の世界は何を創造しつつあるか、まだよく判然しないけれども、先ず河合《かわい》ダンスと少女歌劇と、あしべ踊りと家族温泉と赤玉女給等は、かなり確かな存在であろうと考える。
 北極がペンギン鳥を産み、印度が象を産み出す如く、地球の表面の様々の温度がいろいろの人種や樹木、鳥獣、文化、芸術、人の根性《こんじょう》を産むようであるが、この関西|殊《こと》に大阪の温気によって成人した大阪人は、まだわれわれの窺《うかが》い知ることのできない次の芸術と特殊な面白い文化を産み出しつつあるに違いないことだろうと思っている。

   かんぴょう

 家族が病気で大騒ぎの時、いちじく印の灌腸薬を書生M君に大急ぎで買いにやりました。私が「オイ灌腸はまだか、早く早く」と待ち兼ねている時、M君は「いちじく印のものはありませんでしたけれども」といいながら一束のかんぴょうを携げて帰って来ました。それはかんぴょうではないかと私は怒りました。八百屋のおやじもおやじです。病人も痛む腹から微苦笑をかすかに洩らしました。

   グロテスク

 一部分というものは奇怪にして気味のよくないものである。人間の一部分である処の指が一本もし道路に落ちていたとしたら、われわれは青くなる。テーブルの上に眼玉が一個置き忘れてあったとしたら、われわれは気絶するかも知れない。レールの側に下駄が一足並んでいてさえ巡査の何人かが走り出すのである。毛髪の一本がお汁の中に浮んでいても食慾に関係する。その不気味な人間の部分品が寄り集ると美しい女となったり、羽左衛門となったり、アドルフマンジュウとなったりする。
 私はいつも電車やバスに乗りながら退屈な時こんな莫迦《ばか》々々しい事を考え出すのである。電車の中の人間の眼玉だけを考えて見る。すると電車の中は一対の眼玉ばかりと見えて来る。運転手が眼玉であり、眼玉ばかりの乗客である、道行く人も眼玉ばかりだ。すると世界中眼玉ばかりが横行している事になる。幾億万の眼玉。考えてもぞっとする。
 今度は臍《へそ》ばかりを考えて見る。日本中、世界中は臍と化してしまう。怖るべき臍の数だ。
 無数の乳房を考えて見る。そして無数の生殖器を考えて見る。全くやり切れない気がする。
 やはり人
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