は舞台では何が始まっているのか見えない位のこんとん[#「こんとん」に傍点]さである。姉《ね》えやん、光《み》っちゃん、お母《かあ》ん、はよおいでんか、あほめ、見えへんがな、すわらんか、などわいわいわめいている。
 その喧噪《けんそう》の花道を走る芸妓《げいぎ》の裾《すそ》に禿頭は撫《な》でられつつ、その足と足との間隙《かんげき》から見たる茶屋場などは、また格別の味あるものとなって、深き感銘とよき陶酔を老人に与えたであろうかも知れない。
 とにかくも、先ず芝居はどうであろうとも、芝居の中の浮世の雑景は、近代の様式による劇場のとりすましたるものとは違って、雑然として見るべきものが甚だ多い処に、私も芝居以上の陶酔を持つ事が出来る気がする。
 なるほど、徳川時代か何かに生れて、のらりくらりと芝居の桝の浮世の中へ毎日入りびたっていたりする事は、悪くはない事だったであろう。ところでわれわれ現代人はこの八本の足の始末に困っているのだ。
 さて、かかる光景を喋《しゃべ》っているうちに予定の紙数は尽きてしまった。芝居の本文は他の連中へ譲って私はこれで擱筆《かくひつ》する。
 挿入の絵は公設市場に蟹《かに
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