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酒がのめない話
ある初夏の頃だった、私は誘われて戸山ヶ原へ出た。一人の友人はポケットにコップを用意し、も一人はビールを携げていた。五月の陽光は原っぱの隅々から私たちの懐中から、シャツの中まで満ちてしまい、ある温《ぬ》くさがわけのわからぬ悩ましさを感ぜしめ、のどを渇かさしめ、だるく疲らしてくれた。そこでわれわれは何か素晴らしいものが欲しいようなさもしいような感情を抱きつつ草むらの匂いを吸いながら寝ころんで青空を眺めたものだった。
友人はビールをうまそうに飲みはじめた。私は実は一滴の酒も飲めないのだ。アルコールは私の心臓にとっては猫いらずであった。でも私はあらゆる酒の味を他の何物よりも好むのだからまったく私は難儀な境遇にあるといっていい。私はのどを渇かしつつ羨ましくそれらを眺めていたものだから、友人は、まあビールのことだ、一杯位はいいだろうといって私のためにコップを捧げてくれたので、あまりの羨ましさに、ついがぶがぶと飲んでしまったものだ。まったくそんなことは、かつてしたことはなかったが、するとやがて猫いらずは私の頭と顔と血脈とを真赤に染め出し、私の心臓を急行列車のピストン
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