連続であった。そしてあの居留地の西洋館というものは、ほんのバラックであり、ほんの腰かけのための家である事が判《わか》った。そして川口町の西洋館に似たものはコロンボ、シンガポールにおいて私は見る事が出来た。要するに植民地の西洋館であった訳だといっていいかと思う。
 しかしながら、そこには、簡略ながらも、異人が故郷を思う心から、その建物はバラックではあるがその窓、その屋根、その柱、その玄関にあらゆる異人の伝統と趣味による装飾が施され、異人の伝統から出た色彩が施され、その部屋の内部は日本人にとっては合点の行かない処の構造に仕組まれていたりするので、われわれがそれによって異国と異人の心の奇妙さを感じ、その心を知ろうと思わせられ、日本人の見た事もない地球の裏側の世界を偲《しの》ばしめたのである。
 それらの影響から、日本の県庁や警察署等もまた、木造の西洋館と変じ、当時の異人の手によって建てられたり、あるいは日本の大工によって模造されたりした事と思う。
 それらの西洋風建築は大阪では何んといっても川口町本田あたりの昔の居留地に最も多く、現在もかなり遺《のこ》っている。

 川口町では、旧大阪府庁舎
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