そ羨ましく思う。そしてその仮装の気が利いて美しく整頓していること、華やかで明るいこと、踊と音楽が子供にまで沁《し》み渡っていること、その大げさなことなど、到底今の日本などでは見られない図である。
とにかく、人間には年に一度くらいは何かの形式において底ぬけの大騒ぎくらいはあってもいいだろうと考える。
今日、大阪の夏祭もやはり行われているのであるが、地車や太鼓の多くは教育資金や衛生組合の費用の不足にあてられ、わずかに祭の形骸《けいがい》だけが平凡な休日となって残されているに過ぎないのである。氏子はその氏神へ参詣《さんけい》する位に過ぎない。息子や娘は参詣すべき神様の御名前も知らないでいる位神様の内容が弱って来た。
その代り子供たちは変なものを着せられたり白粉《おしろい》を鼻先きへ塗られたりする恥かしさから解放されつつある。だが、世は不景気にして常に常の如く静かである。時に示威運動の行列や自動車ポンプのうなり声が、子供の心を引立たしめるかも知れない。
大人も子供も、夏は暑いから、せめては新世界へでも出かけて、剣劇の刃《やいば》の先きからでも冷気を吸うより外に素晴らしいこともなさそうで
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